光を当てて、強みを照らす
白金台にある自然教育園の入口付近に
あるイチョウ並木が、見頃を迎えて
いる。
「プラチナ通り」にもイチョウ並木が
あり、そちらも美しい色合いになって
いた。
イチョウ並木と言えば、やはり神宮外苑
が最も美しい気がする。
今年はあいにく見ていないが、毎年この
時期になるとあの美しさを思い出す。
上記の写真を撮った際は、残念ながら
お天気は曇り。
イチョウ自体は何ら変わっていないのに、
これを晴れたときに撮ると、その美しさの
違いは歴然である。
青い空というキャンバスの方が、
主役のイチョウがより映えるという
こともあるだろうが、やはり陽光が
差してイチョウの葉を輝かせるか
否かが、大きな差異を生む原因で
あることに気付く。
そう、どんなに美しいものでも、
光を当てなければ、
その美しさや魅力は伝わりにくく
なってしまう。
意図的に、意識的に、
「光を当てる」
行動に出ない限り、美しさに気付いて
くれる人が激減する。
この、光を当てるべき「美しさ」と
いうのは、人の「強み」と言い換えても
よいのではなかろうか。
「強み」にスポットライトを当てる
ことで、その人の本当の良さを理解する
ことが容易になり、理解者が増えやすく
なるように思うのである。
天気が悪いから、気が付かなかった。
曇っているから、気が付けなかった。
夜で暗かったから、分からなかった。
それでは、周囲の環境のせいにしている
だけで、何ら発展性がない。
だったら、晴れている日に見に行く。
雲一つない日を選んで、見に行ってみる。
夜ではなく、昼間に見られるようにする。
更に言えば、夜にしか行けない場合は、
スポットライトを自分で持参の上で、
光を当ててみる。
そうすれば、違った側面を発見できて、
思わぬ収穫が得られるかもしれない。
このアナロジーで、人に接してみては
どうだろうか?
環境に埋もれている状況では、
その人の強みは見えてこない。
こちらから強みを発見しに行く
つもりで接するのだ。
スポットライトを当てに行くのだ。
そうすれば、イキイキと輝きだす、
それが人というものではないか。
イキイキと輝きだした相手は、
必ずやその輝きで、今度は自分の
ことを照らしてくれるはず。
情けは人の為ならず。
このことわざが、同じことを示唆している
のは言うまでもない。
人に情けをかけると、結局回りまわって
自分のところに良い報いが返って来る、
という意味である。
自然の移ろいを見ることで、こんな着想を
得ることもある。
今は丁度、今年一年間の人事評価面談を
上司や部下と行う季節。
「光」を当てて「強み」を照らすことを
意識して、面談を進めていきたいものだ。