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自分を定義する

よく「理屈っぽい」と言われる。
自分でも自覚がある。
理屈が通らないのはおかしい、
そう考えるのが普通だという感覚なのだが、
「理屈っぽい」という評価は決してポジティブとは
言い難いことを考えると、ますます腑に落ちない。

とはいえ、人の評価は千差万別。
理屈っぽいからこそポジティブに評価してもらえる、
そういう場面も沢山あるわけで、
自分の持ち味、特長の一つだと考えている。

週末は大抵ハーフ相当の距離を走っており、
今朝も走るには良い陽気だったので、
いつもの準備をして外へ。
イヤホンを耳に突っ込み、ビジネス系のトークライブを
1.5倍速で聴きながら黙々と走る。

走っていると、ふと面白いアイデアが思い浮かぶことがある。
聴いている内容が触媒になることもあれば、
周りの風景から何かに気付くこともある。
何がきっかけになったのか、さっぱり分からないことの方が
実は多いので、なかなか再現性がないのが残念なところだが、
走りさえすれば結構な確率で何らかの気付きは降りてくる
と言っても差し支えはないだろう。

今日も、何を考えているときにアイデアが降りてきたのか
今となっては忘れてしまったが、
その中身というのはこれである。

「自己分析」という言葉は、
「自分を定義する」と言い換えが可能!


「当たり前じゃん!」
という声が飛んで来るかもしれないが、
個人的には「おー!」という感じだったのだ。

マーケティングの仕事を20年以上も続けていると、
それなりに偉くもなって、部下を採用したりする機会も
そこそこある。
また、自部門他部門問わず、教育研修に携わることも多い。
加えて、複業でコンサルティングをやる上では、
人に教える、人を導く、理解してもらう、ということが
不可欠だ。

そういう機会においては、
「〇〇を定義してください。」
ということが大変多くなる。

プロとして仕事をしている以上、自分の大切な仕事道具である
言葉の「定義」をしっかり認識して欲しいと思うのだ。
「定義」がしっかり語れる人ほど、普段から頭で考えて
仕事に向き合っているわけで、信頼に足る人だ、となりやすい。

という具合に、言葉を「定義」することには
割とうるさく注意を払ってきたわけだが、
こと「自分」を対象として考える、という発想に至ったことが
なかったということに今日気が付いたのだ。

「自分」を対象にする場合は、「自己分析」という言葉で
表現をしてきた。
これは、学生時代に就職活動をしていた頃から、この言葉を
使い続けており、他に言い換えをする必要性がなかった、
少なくともその必要性を感じなかったにすぎない。

しかし、
「自分を定義する」
「自己定義」
という言葉を使うと、より良い意味合いの概念として
汎用性が広がるのではなかろうか?

「分析」では、あくまで過去から現在に至って築き上げられた
自分というモノを、客観的に読み解く、という意味合いに
過ぎない。
これはこれでもちろん重要だし、必要なこと。

「定義」という言葉に差し替えると、過去から現在にかけて
の自分が何者か、を記述しなければならない、
つまり「分析」の意味合いを残しつつ、そこに更に
「自分が何者になりたいのか?」
「自分が何者でありたいのか?」
という「未来」の意味合いを加えた表現になるのではないか?
そんな思いにたどり着いたのだった。

ちょっとした言葉遊びに過ぎないのかもしれないが、
今後は「自己分析」の代わりに「自己定義」という表現を
用いることで、自分のことを記述する際には必ず
「未来」「将来」の視点が入ったものを作ろう、
そんな決意を書き留めておく。

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ahiraga
己に磨きをかけるための投資に回させていただき、よりよい記事を創作し続けるべく精進致します。