公園に転がり始めたどんぐりを俳句に詠んでみた
こちらのnoteは、3年と9か月の間
毎日休まず継続している。
それに加えて、昨年の12月から、
Instagramで俳句を詠むことを
毎日休まずに継続中だ。
粛々と毎日詠んではいるものの、
「いいね!」の数はずっと低空飛行。
まぁ、承認欲求を満たすために
やっているわけではないので
構わないのだが、もう少し反応が
多い方が張り合いが出るところ
なので、宜しければ是非フォロー
頂けると嬉しい限りである。
さて、昨日詠んだ句はこんな感じ
だった。
写真をInstagramにアップし、
そこに俳句とハッシュタグを添える
ことをマイルールにしている。
この俳句、いくつかバリエーションが
考えられるなぁなどと思いながら、
そのうちの一つを選んだのだが、
他に候補として考えたいくつかのうち
二つ程、以下に紹介しよう。
「よけつつ」
「踏みしめ」
「蹴とばす」
これら以外は全て同じ言葉だ。
この四文字を変えるだけで、
見えて来る風景、
聞こえてくる心の動きが
ガラッと変わってくるから
面白い。
「よけつつ」
踏むと痛いのかな?
単に歩きにくいからかな?
随分と足元を気にするんだな、
以前に転んで痛い目にでも
遭ったのかもしれないな・・・
などと想像を膨らませてもらえる
のでは、そんなことを思いながら
言葉を選んでみた。
「踏みしめ」
どんぐりを狙い撃ちしてわざと
踏んで歩いているんだな。
ひょっとして、他の歩行者の
ことを考えて、道を平らにしようと
してくれているのかも?
踏みつけてはいるものの、
どんぐりの存在を愛おしんでいる
に違いない。
そんな感じも出ている気がする句。
「蹴とばす」
歩くのに、そんなにどんぐりが
邪魔だったのかな?
何か嫌なことでもあったかな?
どんぐりが相当大きくて、
蹴りがいのあるサイズだったから
思わず蹴ったのかもしれない・・・
そんな想像も可能にする句。
五七五のたった17文字で作る
文学作品が俳句だ。
その中に季語をはさみ、
移ろう季節を愛でる。
省略することによって
生まれる余韻。
その余韻の中に、豊かな意味合いを
どこまで込められるか。
それは、言葉遣いの妙にかかって
いる。
「よけつつ」
「踏みしめ」
「蹴とばす」
これら以外にも、もっと面白い
表現がたくさんあるだろう。
そのときに自分の中に去来した
感情を表すには、どんな言葉を
選ぶと相応しいのか。
そんなことをつらつら考えながら、
今日も明日も明後日も、
五七五を紡いでいく。
そうすることで、
必然的に写真を撮る必要に
迫られる。
移り変わる季節の表れに、
敏感に気付けるようになる。
様々な自然の様子に触れ、
花や樹木と親しみ、
生活に豊かさが足される。
下手の横好きながら、
そんな気持ちになれる俳句を
今日も詠みたい。