残り紅葉(黄葉)を見て思う
会社に通う際の通り道に、
短いながらも銀杏が並木道を
成している場所がある。
秋も深まり、暦上はとっくに冬と
なっている数週間前の頃。
並木と言っても、ビルの谷間の
道路なので、日当たりの良し悪しが
木によってかなり差が付いている
様子が見て取れた。
日当たりが良いところにいる木は、
すっかり葉が落ちていて、
既にほぼ丸裸。
黄色い葉が少しだけ残っている木は、
丸裸の木に比べて、恐らく日当たりが
イマイチな様子。
まだ黄色い葉がしっかりと全体的に
残っている木もある。
しかし、その木自体は他の木に比べ
細身で頼りなく、いかにも日当たり
悪そうな場所にいて、ションボリ
しているようにも見えた。
それでも、最近になってどの木も
ほぼ葉を落とし終わり、
みんな仲良く冬並木、である。
ふと、これは人の成長や組織の成長に
似ているかもしれないな、などと
感慨にふけった。
日当たりの良い場所で、
ぬくぬくと育てば、
幹を太く、高く伸ばす。
その分、葉を落とすのも早い。
次の年に向けての準備に早々に
取り掛かっていると見ることも
できる。
逆に、日当たりが悪いと、
幹自体の成長が遅いように見える。
葉もなかなか色付かない。
ようやく色付いても、
葉を落とすまでにノロノロと
時間がかかる。
準備が遅いと見ることもできるが、
ギリギリまで粘って黄色い葉で
人を楽しませてくれている、
そう解釈できなくもない。
いずれの木も、自分たちの置かれた
環境に文句ひとつ言わず、
与えられた条件(日当たり)の下で
精一杯生きている。
そして、確かにタイミングが
早かったり遅かったりという違いは
あるにせよ、時を追って確実に同じ
サイクルを歩んでいるのだ。
「日当たりの良い木は、恵まれた環境に
あって羨ましい。
自分もそんな環境が良かった。
だから不貞腐れてやる!」
そんなことを、日当たりの悪い木が
言うはずもない。
限られた時間の日光であっても、
それをしっかりと受け止めて、
たとえタイミングは遅くとも、
しっかりと黄葉し、
次の年へと命をつないでいく。
日当たりの良い木も、
日当たりの悪い木を見て
「ざまぁみろ!」とか
「やはり俺の方が偉いな」
などということは言わない。
旬が早々に過ぎ去ってしまうが、
それもまた「運命」であると
淡々と受け止めているのでは
なかろうか。
ビジネスにおいても、
日当たりの良いとき(環境)もあれば
日当たりが悪いとき(環境)もある。
どちらのとき(環境)においても、
自分の置かれた環境を見極め、
ないものに文句を言わず、
あるものを最大限活かす。
銀杏の残り黄葉から、
そんなメッセージを自分なりに
受け取らせてもらった。
己に磨きをかけるための投資に回させていただき、よりよい記事を創作し続けるべく精進致します。