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マラソンをしながら「目的」と「手段」について考えた

暑い日が続いている。
日照時間が異常に少ない7月を経て、
8月に入った途端に
「猛暑のオンパレード」
とでも言いたくなる陽気。

それでも、週末が来ると、「週課」
としているマラソンにいそいそと
繰り出す自分がいる。
日射病、熱中症といった、暑さに
よる急性の病に注意が必要な陽気
だと理解しつつも、やはり「週課」
をこなさないことには、気持ちが
落ち着かない。

走っていると、
「なんでこんなに暑い中、自分は
走っているのだろうか?」
なんていう問いが頭の中に生じる
ときがある。

そもそも、マラソンを始めたのは
健康の維持が目的だ。
「長生きリスク」「健康寿命」など
という言葉がある通り、年を経た
ときにどこか体に痛みなど不具合を
抱えているとQOLが著しく下がる。
折角ならば、QOLを高く維持した
状態で老年期に突入し、俗に言う
PPK=ピンピンコロリを実現したい
ものである。
そのためには、日頃から体を鍛え、
病が勝手に体から出て行ってくれる
ような生活を志したい、それが
そもそもの目的であり、マラソンは
その手段という位置付けである。

ということは、暑さにより何らかの
不調が生じかねないリスクをはらむ
天候下でマラソンをすることは、
そもそもの目的に反することになり
はしないか。
そんな解釈も成り立ちうる。

とはいえ、暑さの中であっても、
自分で決めたことをやりきることに
よる精神的な成長ないしは満足感と
いうのは、非常に捨てがたい。
また、そういう厳しい環境の下で
やるからこそ、実際の体力増強に
一層効果がある点は否めない。

結局は、目的に対する効果の大きさ
が、どちらを取った時の方がより
大きくなるのか、そのバランスを
どう測るかがポイントとなるのでは
ないか。

そして、何よりここで重要なことは、
人生の目的を自分なりにしっかりと
思い定めてそれを言語化し、
その目的を達成するための手段と
してどのように行動を選択するか、
それを意識的に行っていくことだ。

目的と手段が入れ替わる、というのは
仕事でもプライベートでもよくある
話である。
目的達成のための手段だったはずなの
に、いつの間にかその手段を実行する
ことそのものが目的化する。
ミイラ取りがミイラになる、などと
いう比喩も同じだ。

私のマラソンも、そんな罠に陥っては
いまいか。
マラソンをしながら、そんなある意味
哲学的な思考を展開していた。
そう、マラソンは、自分の思考を色々
深めていく場としても機能している。
その意味で、自分の生活にとっては
健康管理以上に意義深い存在として
君臨しているのだ。

と、ここまで考えて、やはり自分に
とってのマラソンは単なる健康管理
の一手段というのを超えて、自分の
精神活動を活性化させたり、自信を
植え付けたりといった非常に幅広い
役割をこなしてくれているのだ。
なればこそ、多少暑さが厳しかろう
が、逆に寒さが襲ってこようが、
継続していくことで自分のQOLが
上がるのだということを確認した
週末であった。

そして今日は終戦記念日。
多くの犠牲の下に私たちが生かして
いただいていることに思いを馳せ、
感謝の祈りを捧げたい。

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ahiraga
己に磨きをかけるための投資に回させていただき、よりよい記事を創作し続けるべく精進致します。