「ストローク」を意識して生活する
住んでいるマンションのごみ置き場へ、
今朝資源ごみを持って行った。
その行き帰りで、同じマンションの
住人2人とすれ違う。
こちらは軽く会釈をしたのだが、
残念ながら相手の反応はなし。
先日富士登山に行ってきた。
ご存知の通り、登山をする人たちは、
すれ違う際にお互い声をかけあう。
見ず知らずの者同士だが、
「こんにちは!」
とやり取りをするのがマナーであり、
多くの人がマナーにのっとって
挨拶を交わしていた。
どちらが気持ちが良いかといえば、
当然ながらお互いに声をかけあった
方が優るのは自明である。
これは、お互いがお互いの存在を
認め合っているからだ。
専門的な用語を使うなら、
「ストローク」を与え合っている
から、ということになる。
「ストローク」の定義を分かりやすく
説明してくれているページを、
参考までに念のため貼っておく。
ストロークには、ポジティブなもの
だけでなく、ネガティブなものもある。
また、精神的なものと、肉体的なもの
という分類もある。
更には、言葉による明示的なものと、
非言語的な黙示的なものという分け方
もある。
分かりやすい例を示すと、肉体的かつ
ネガティブなストロークというのは、
いわゆる「虐待」になる。
当然、虐待は許されることではないし、
想像するだけで気分が暗くなる。
それでも、「無視」することよりは
マシだ、という考え方が存在する。
存在自体を認めない、いないものとして
扱うことを、「ディスカウント」と呼ぶ。
この「ディスカウント」は、そもそも
ストロークを与えないわけだ。
人は、たとえネガティブであっても、
ストロークがないよりはあった方が
「マシ」なのである。
実際、赤ちゃんに対して一切の
ストロークを与えないとどうなるか?
という非人道的な実験をした、
神聖ローマ皇帝フリードリッヒ2世の事例
が有名である。
赤ちゃんにとっては、スキンシップの
欠如が、食事的な栄養の欠如にも増して、
成長に深刻な影響をもたらすのだ。
冒頭の話に戻ろう。
マンションの住人に会釈をした際に
反応がなかったからと言って、
いちいち目くじらを立てているわけ
ではない。
ストロークをこちらから発して、
それが返ってこなかったとしても、
別に自分が損をするとは考えていない。
相手の頭の中を覗けるわけではないので、
彼/彼女が何かでテンパっていたとしても、
こちらは知りようがない。
あくまでも、自分から気持ちよく
会釈したり挨拶したりすることを、
自ら率先して続けていきたい。
そんな「意思決定基準」を、改めて
今朝の出来事で確認したのであった。
己に磨きをかけるための投資に回させていただき、よりよい記事を創作し続けるべく精進致します。