アンラーニングとリスキリング

カタカナ語からは脱却すべき、
中途半端にカタカナ語を使って
分かったつもり、分からせたつもり
になることは百害あって一利なし、
基本的にはそのように考えている。

とはいえ、カタカナだからダメ、
というか元が英語だからダメ、と
いうことでは決してない。
重要な概念は、しっかりと学んで
理解し、それを仕事に、生活に、
積極的に応用していきたいところ。

「アンラーニング」というのは、
ここ数ヶ月間ずっと親しんできた
キーワード、日本語に直訳すると
「学習棄却」となる。
learning=ラーニングは、学ぶこと。
それに「un」、つまり「~の欠如」
「~の逆」の意味を表わす接頭辞を
付けているので、「学ぶのをやめる
こと」「一旦学びを忘れること」
そんな意味合いだ。

最近の note で何度か書いている、
EMSというオンラインスクールに
おいて、この「アンラーニング」
という言葉が多用されていた。
そこで使われていたこの言葉の
ニュアンスは、「学び直し」と
いう感じに近い。
今まで身に付けた「学びの鎧」を
一度脱ぎ捨てて、まっさらな気持ち
でもう一度イチから学んでみる。

そうすることで、知らない間に
自分に付いていた「常識」が、
必ずしも正しいわけではないと
いうことを認識できる。
ゆでガエルの比喩のように、
環境がいつのまにか水からお湯に
変わっていることに気付かず、
ゆで上がってしまっては困る。
「アンラーニング」とは、たとえ
水の中が快適であったとしても、
一度そこから意識的に飛び出して
おこうとする考え方だと言っても
いいのかもしれない。

この「アンラーニング」のことを
書こうと思ったきっかけが、
たまたま今日Facebookで見かけた
友人の投稿に「リスキリング」と
いう言葉があり、下記の報告書を
読んだから。

この言葉を最初に一見したときは、
一瞬何のことかよく分からず、
「リスを殺すこと?」
「リスクのある輪っか?」
「リスクをあえて冒すこと?」
などなど、色々な候補が頭の中に
湧いて出た。
30秒以上考えたかもしれない、
やっと「Re」と「Skilling」の合成
だと気が付くに至ったのだった。

詳しくは上記の報告書に譲り、
ごくごく簡単に説明をすると、
リスキリングとは、
「スキルを習得し直すこと」
である。

デジタルトランスフォーメーション
(いわゆるDX)時代の到来という
状況下で、デジタルにまつわる
スキルを持っていない人材は、
今後組織内で居場所がなくなる、
そんなことがまことしやかに囁か
れる昨今。
全て外部調達できるほど、世の中
にデジタル人材が溢れているわけ
ではないし、それを実現するには
人材獲得と維持のコストが間違い
なく跳ね上がるだろう。

であれば、現有人材をいかにDXに
適合させていけるか、再教育を施す
ことでその組織の戦略に沿った
「デジタル人材化」を実現できるか
が大きな課題になる。
そこでの「再教育」こそが、報告書
の考える「リスキリング」だという
ことだ。

「アンラーニング」にしても、
「リスキリング」にしても、
今日のような変化の激しい時代に
どうやって個人が世の中における
価値を創造して、社会に貢献する
ことができるか、そんな問題意識を
持っているところに共通点を見い
出したのであった。

己に磨きをかけるための投資に回させていただき、よりよい記事を創作し続けるべく精進致します。