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令和に読む「ハンサムな彼女」

ウイルス性胃腸炎にやられて2日動けなかった時に久しぶりに漫画を読んだので、感じたことをつらつらと書いていこうかな。あらすじの説明もしないしネタバレ配慮もないので、あしからず。
吉住渉作品で一番有名なのは「ママレード・ボーイ」だと思うが、わたしはその一つ前の連載「ハンサムな彼女」(1988年~1992年)の方が好きだった。中高生の恋愛ものなんだけど「芸能界」を舞台に「映画づくり」をする人たちの話なので自然と「お仕事もの」にもなっていて、それが面白い。何せしょっぱなからヒーローがヒロインに「お前は遊びのつもりでもスタッフは真剣なんだ、ちゃんと仕事に向き合え」みたいにお説教するからね。吉住渉先生はこの作品を生み出した経緯として「すごく綺麗な女の子を書きたかったけど、普通の学生で美人すぎると浮いてしまうので芸能人にした」と書いているんだけど、登場人物が美男美女ばかりなのも、おしゃれなのも、海外に行きまくるのも、金持ちそうなのも、売れっ子芸能人なら当たり前!って感じで、非日常的ワクワク感を自然に味わえるところもとっても良い。

説明はしない、とは言ったものの主人公の萩原未央(はぎわらみお)ちゃんと

若手女優


親友であり恋のライバルにもなる沢木彩(さわきあや)ちゃんくらいは紹介。

人気No.1アイドル歌手


私が一番好きな2人のシーンを貼り付けておきます。これを見て何の場面かわかる方とはぜひ握手したい。

恋愛漫画を読むときに「この人はどうしてこの人のことを好きになったのか」が納得できる(共感できないとしても)かどうか、というのは大きくて、そこがわかりにくかったり雑だったりすると読み進めるのがストレスになってしまうんだけど、ハンサムな彼女にはそういうストレスはほとんどな感じない。未央が彩に、「(初恋相手の)てるちゃんはルックスから好きになって中身を知ってもっと好きになった」「(この漫画のヒーローの)一哉は第一印象最悪だったけど…」と話すシーンがあるが、初対面で印象悪かった熊谷一哉(くまがいいちや)が、よく知っていくと映画づくりに真摯で、優しいところとか可愛いところがあることもわかって、だんだん好きになっていく未央の気持ちが本当によくわかる。一哉はいい子やで、ほんまに。甘やかされてるお坊ちゃんだけど、それゆえにまっすぐ夢に向かっていけるところ、現実はよく見えてるけど屈折してないところが、人として魅力的だなと思う。個人的に一哉の一番好きなところは、「おれはシャイなんだ」って演技は絶対やらないとごねるところです。かわいいんだ、この時の一哉。
未央の初恋相手のてるちゃんこと、森本輝臣(もりもとてるおみ)くんは序盤こそ登場回数は多いが、中盤以降はほぼ空気になる。大人になって読み直して気づいたけど、彼、ルックスでごまかせてるだけで中身は重めの昭和の男だね。未央のわかりやすい(けどストレートではない)アピールにちゃんと対応できなかったり、彩が昔の恋人の一哉をまだ好きなことがわかっても、彩をひそかに想い続けて、友達として相談に乗るといいながらもやっぱり友達じゃダメなんだ、と最後には感情爆発してしまう。女の子の気持ちがよくわかってなくて、男らしさとは陰ながら好きな女の幸せを願うことだ、みたいに考えてるんだろうな。完璧なルックスとは裏腹に、素朴で不器用なてるちゃん。彩は芯が強くてしっかり者なので、素直すぎてちょっとフラフラしがちな未央よりもてるちゃん的には安心感があるんだろう。ただ、確実に尻に敷かれるタイプ。
で、中盤にてるちゃんフェードアウトした後出張ってくるのが可児収(かにおさむ)くん。私は収は単体としては好きだけど、未央が収と付き合うところは正直好きじゃない。だって「一哉が好きだけど一哉は映画バカで付き合ってくれないから、一哉を忘れるために収くんと付き合う」って流れだよ。まぁ言い出したのは収の方からだし、未央もあざとく収を利用したんじゃなくて、ずっと苦しんで、すがるような思いで収んとこに行ったのでね。納得はできるけど、共感はしない。収はすごく未央を大事にしてくれたので、完全なる当て馬というか、「都合のいい男」すぎて可哀想。と、幼い頃はそこまでしか思ってなかったんだけど、読み直してて思ったんですよ。「あれ?これ、収もだいぶ重い男なのでは…」収にとって、未央は初恋の相手。その子が自分の親友が好きと知りながらも諦めず、失恋して傷心の未央を慰め、尽くし、一哉を好きなことを承知で付き合ったにも関わらず最後はやっぱり自分だけを思ってくれない辛さに耐えきれずに破局。そして続きは番外編で語られるんだけど、この初恋の失恋がトラウマになって「自分には一対一の本気の恋は向いてない、複数のガールフレンドとお手軽に遊んでる方がいい」っていう心理状態に陥ってしまった。弱冠17才にして!はい、逃げてますね。軽い、サイテー、と未央や菊池理花(きくちりか)ちゃんといった女性陣には批判されてるけど、本気の恋をすると苦しくなるから。それだけ根は真面目だし、重いってことだよね。独占欲も強いし。あと何より収は優しいしね。あれだけ優しいと、たしかにしんどくなると思うな。だからこそ、超気が強くてしっかり者で、かつ収のいろんな面を見てきてもそれでもずーっと好きでいてくれる一途な理花ちゃんと最後に結ばれたのは本当によかったな、と思う。本屋さんで、理花ちゃんが収に買ってもらった安物の指輪をつけてるところを収が見かけるシーンがあって、その時の収の表情が秀逸。「あ、収は理花ちゃんのこの健気さ、一途さに心を引っぱられたんだな」ってのがよくわかる。それまで「素直じゃない、可愛げのない女」って思ってたのが「素直じゃないところが可愛い」と思うようになった瞬間。相手の欠点を可愛いと思えるって、うまくいってる熟年夫婦の領域なんだよ、本当は。収は全体的に早熟すぎるな。作者はこのとき「綺麗なお姉さんと楽しく遊んでる方が、理花みたいなめんどくさい子の相手するより楽なのに。収はバカだな」と思いながら描いていたそうだけど(吉住先生は面白いよね)、収のこの先の長い人生を思えば、この方が良かったとわたしは思います!たぶん、付き合い始めてからは理花ちゃんの方がドライで、収の方がウエットになると予想。
あとね、恋愛には一切絡んでこない大友也寸志(おおともやすし)くんという一哉の映画仲間がいて、彼は大人になって読むと良さがわかる子だ。特に良いのは、彩のコンサートに皆で行って、彩がステージ上で泣いて歌えなくなってしまった時。彩のところに行こうとした一哉に対して「好きじゃないなら行くな、余計かわいそうだろ」って一喝するところは、いつも仲間内の恋愛関係のゴタゴタを公平に見てる彼だからこそ言えた正論だと思う。まぁそれでも一哉は「友達だからほっとけない」っつって行くわけだけど。それが、前述した未央が収んとこに逃げるきっかけになってしまうわけで。でね、その後未央が収と付き合い始めたって聞いた也寸志は、未央にわざわざ電話して「コンサートのあれは…友情だと思うぜ」と男友達としてアドバイスしてくれるの。つまり、一哉は彩に対しては友達としてしか見てないから、そのことで未央が落ち込む必要ないよ、ってこと。その通りなのよね。みんな、もっと也寸志の言うこと聞こうよ!!他にも収メインの番外編で、収に理花ちゃんに接近してきた先輩の正体を教えたり、実はファインプレーが多い也寸志くんをみんなもっと大切にしましょう。映画も也寸志がいなかったら絶対につくれてないし。
他にもケンジとか篤紀(あつき)とかキースとか聖(しょう)くんとか、キャラが立ってる男性陣がたくさん登場する。ケンジと篤紀は今の時代の方が人気出そうだな。ケンジは当時も人気あったか。

読んでいて一番感じたのは、スマホやネットがない時代の、あの空気感が懐かしい!!ということ。連絡手段のメインは固定電話で、何かあれば家や行動範囲を調べたり、待ち伏せしてでも会いに行っちゃう時代だった。てるちゃんが撮影してるスタジオの前で待ってた未央に「夜中までかかることだってあるのに!」って言ってるシーンとか。一哉と収が映画雑誌の投書欄がきっかけで知り合って、編集部に住所教えてもらって連絡取り合うようになったというエピソードも、あの時代ならでは。全体的には当時のあるある話、というよりはその当時の少女たちの憧れみたいなものが詰まってるんだよね。流行に敏感で学校生活が舞台になることが多い少女漫画って、その時代の文化や生活、考え方がとてもよく描写されているので、時間が経つほどに価値が高まっていくのでは?とすら思った。歴史的資料のような扱いになるときが来るかもしれない。
今わたしはこの漫画を、部屋で一人で腹痛に耐えながらコミックサイトでダウンロードして読んだけど、当時リアルタイムでは、毎月りぼんを買っていた同じマンションの友人の家に行って読んでた。友人の部屋で寝っ転がりながら漫画を読んでた感覚は忘れられない。人との距離感が今よりぐっと近かった時代だよね。あの頃は良かった、とかいうことではなく、ただただ懐かしい。

胃腸炎にはとても苦しめられたけど、休めたおかげで久しぶりに「ハンサムな彼女」を読んで、いろいろな意味でノスタルジーに浸れたので、これはこれで贅沢な時間でした。

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