白洲ちゃむさん(京都府出身) 21世紀の日系移民(第2回) 布施直佐 月刊ピンドラーマ2024年6月号
◎カポエイラに出会って
子どもの頃からちょっと変わったことをやるのが好きで、24歳の時、当時習っていたダンスの発表会に登場したカポエイラを見て、「これは何だ!」と心を鷲掴みにされた。バイーア・サルヴァドールの道場で修行を積んだ日本人師範の元で習い始め、2008年にサルヴァドールのペロウリーニョ(サルヴァドールの歴史地区)に修行のため約2週間滞在。以降、2年に一回ブラジルを訪れるようになった。また、ノルデスチ(北東部)音楽の修行を積んだ日本人女子(のちにリオデジャネイロでお世話になる)から、ペルナンブーコの伝統音楽マラカトゥを教わり、マラカトゥで使われる打楽器(アウファイアやアベなど)の演奏も始めた。
2010年には友達と2人だけでサルヴァドールを訪問。「その時ペロウリーニョにたまたま白洲太郎が座っていた」。太郎氏はちゃむさんに一目惚れした。ちゃむさんたちが日本に帰る最後の日、太郎氏から「人生で初めて手書きのラブレターをもらった」が、太郎氏に対しては「ちゃらっとした旅人」という印象しかなく、二人の仲は発展しなかった。日本に帰って、友人に太郎氏のことを話したら「そんな男駄目だよ!」と一蹴され、「そりゃそうか…」とちゃむさんの気持ちも盛り上がることはなかった。2年後再びサルヴァドールを訪れた時はちゃむさんから連絡をしたが、太郎氏は「どうせ実らぬ恋だろう」とあえて会うことをしなかった。
◎再び太郎氏と会って…
2016年にリオで友人がやっているホテルの管理人とベビーシッターを兼ねて半年ほどブラジルに滞在した。ホテルから休みを取り、サルヴァドールにカポエイラの修行に行った際、頭の片隅にあった太郎氏に「何となく会いに行っちゃった」。
太郎氏がカメロー業を軌道に乗せ、田舎のフェイラでバリバリ商品を売りまくる姿に彼女はぐいぐい心を惹かれ、「俺と結婚しよう!」との直球プロポーズをすんなりと受け入れた。日本に帰って両親に太郎氏と結婚することを打ち明けたら「そんなわけのわからない男の所に行くなんて心配過ぎてつらいから、お前はいなかったことにする」と父親に勘当されてしまった。それでも2017年4月に会社をやめ、太郎氏が住むバイーアの片田舎に移り一緒に住み始めた。ふたりが住む地域は道は舗装されておらず、バスも通ってないので車が使えないときの移動手段はヒッチハイクという不便極まりない環境であったが、日本とは全く違う生活を新鮮に感じ快適に日々を過ごすことができた。その後、写真やビデオを通して、ブラジルで二人で仲良く幸せそうに暮らす姿を見るうちに父親の気持ちも自然にほぐれっていった。
◎ちゃむさん個人として
移住した当初は地域の人たちに「太郎氏の妻」という目で見られることが多く、自分個人として認められないことを寂しく感じた。しかし地域のカポエイラのグループに参加し、最近は若いメンバーを指導するようになり自分のポジションを確立することができた。レシーフェのカーニバルにもマラカトゥの奏者として2回参加し、太郎氏と離れたところでもブラジル生活を楽しめるようになった。カメローの仕事も最初は言葉も話せず売り方もわからなかったが、今はちゃむさん目当てで来る客も増え、商品の装飾品も自分で作るようになった。太郎氏も商品の発注・管理を彼女に任せるようになり、二人でうまく仕事をまわせるようになった。また、住み始めた数年間はどこか「太郎氏の家」という気持ちが強かったが、パンデミックの間一度も日本に帰らなかったおかげで「今自分が住んでいるこの家が自分の家だ」と実感している。
◎夢を実現
小さい頃の日本にいる時は忙し過ぎてできなかった「芸術家になりたい」という夢をブラジルで実現できつつある。自由な時間にイラスト的な絵を描き、バンドリンを奏で、手工芸品を制作しブラジルに移住してからの7年間を心豊かに過ごすことができた。今は「少し前に家に迷い込んできたニャーブルというネコと夜うたた寝する時間が一番幸せ」。
ブラジルに来たいと思う人は迷っていないで一度来てみれば良いと思う。
「カーニバルでブリブリのボディをさらして踊り狂う女性を見れば、人生をもっと楽に楽しめるようになりますよ」
月刊ピンドラーマ2024年6月号表紙
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