日系社会の代表格として活動する島袋栄喜(しまぶくろ・えいき)さん 移民の肖像 松本浩治 月刊ピンドラーマ2024年2月号
元ブラジル沖縄県人会長で、現在、サンパウロ日伯援護協会(援協)副会長やAOTSブラジル(海外産業人材育成協会ブラジル同窓会)会長など日系社会の代表格として活動する島袋栄喜さん(73歳、沖縄県沖縄市出身)。長年にわたってペトロブラス(ブラジル石油公社)の石油専門技師として働き、各地に石油を送るパイプラインのメンテナンス作業や経営管理部門等に携わってきた。
島袋さんの父親は14歳の時に一人でサイパン島に渡り、同島の鰹加工工場で働き、戦後、沖縄県に引き揚げた経験を持っていた。大工として地元の建設会社で働いていた父親は海外志向が強く、島袋家は家族7人で1959年に貨物船「テゲルベルグ号」でブラジルに移住する道を選んだ。次男の島袋さんは当時、8歳。日本のことはあまり覚えていないが、ブラジル航行中に立ち寄った南アフリカ・ケープタウンの喜望峰で、3つの竜巻の同時発生を目の当たりにしたことが一番印象に残っているという。
当初、島袋家はマット・グロッソ州の過酷な移住地「カッペン」に入植する予定だった。しかし、サンパウロ市に戦前から住んでいた母親の叔母から「カッペンには行くな」と言われて踏みとどまったことが運命を変えた。
結局、ブラジルに渡って40日ほどは母親の叔母の家で過ごし、その後はサンパウロ市内カンポリンポ地区に入植した。同地は戦前からの沖縄移民も多く、島袋さんの父親は大工の腕を生かして、沖縄県人会カンポリンポ支部の会館の建設も自ら指揮を執って完成させた。
一方、生活では慣れない農業に従事し、葉野菜などを生産してはサンパウロ市のカンタレーラ(中央卸売り)市場やCEAGESP(サンパウロ州食糧配給センター)等に出荷。家族総出で農作業を手伝った。島袋さんの母親は沖縄県に住んでいた頃は比較的裕福で、地元の信用金庫に勤めていたが、ブラジルでは慣れない農作業や市場への出荷作業など家族の生活のために働いた。島袋さん自身も農作業を手伝い、半日は学校に行くという生活だった。特に冬場は畑に霜が降ることもしばしばあり、手がかじかんで指が動かないこともあったといい、「両親はブラジルに来た頃は、相当苦労したと思う」と当時を振り返る。
ブラジルに来て小学校を一からやり直した島袋さんは、父親から「技術を持っていれば身を助ける」と日頃からの助言もあり、技術系の中学・高校を卒業。マウア工科大学の電気科を卒業前にペトロブラス社の講習会を受け、国家試験を受験したところ合格。25歳の誕生日だった76年1月に入社することができた。
リオ市で1年間の研修後、サンパウロ市に戻り、その後の5年間は石油専門技師として原油をパイプラインで各地に送るためのメンテナンス作業など現場仕事に従事した。
島袋さんによると、当時のパイプラインの一部は英国系の鉄道会社が造ったもので、古びた鉄管が地下に敷き詰められていたという。そのため、島袋さんの時代にブラジル製の鉄管を新しく配管するなどしたほか、アルコールそのものを鉄管で配備したことが世界でも初めての快挙となったそうだ。
その後、島袋さんは昇進してペトロブラスの経営管理部門に異動。その間に妹の大学(サンパウロ大学経済学部)の後輩に当たる直枝(なおえ)さん(66歳、沖縄県糸満市出身、旧姓・波平(なみひら))と結婚した。2001年には25年間勤めた同社を引退し、別会社でペトロブラス関連の仕事を請け負った。また、07年からはエスピリト・サント州で約1年間、海底油田の汲み上げ事業にも携わった。
そうして08年、サンパウロ市リベルダーデの街に自動車で来ていたところ、ペトロブラス時代の元部下が車の前に居たのが目に入った。声を掛けると、「あなたを探していた」と言われ、ペトロブラスが買収していた沖縄県の南西石油の幹部として働くために訪日してほしいとの依頼だった。結局、東京で1年、沖縄で2年の計3年を日本で過ごした。
11年、日本からブラジルに戻って仕事を引退した島袋さんを日系団体が放っておかなかった。ブラジル沖縄県人会の会長に抜擢され、その後は現在の援協副会長やATOSブラジルの会長なども引き受けることになり、現役時代以上に多忙な日々が続いている。今回のインタビューを行った23年12月26日には、島袋さんは朝から援協の会議があり、午後過ぎからの沖縄県人会での会議の合間を縫って、時間を作ってもらったほどだ。
母親から常々「社会のためになる人間になりなさい」と言われてきたという島袋さん。今後の日系社会について、「若い人材はたくさんいるので、その出番を作って参加する場を掘り起こしていければ」と思いを語った。
(2023年12月取材)
月刊ピンドラーマ2024年2月号表紙
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