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マリ編 せきらら☆難民レポート 第22回 2021年9月号

#せきらら☆難民レポート
#月刊ピンドラーマ  2021年9月号 HPはこちら
#ピンドラーマ編集部 企画
#おおうらともこ  文と写真

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 この約10年間でより一層存在感を増すようになったヘプブリカ広場周辺のアフリカからの移民。通りにいる彼らの出身国を尋ねると、よく聞くのは、ナイジェリア、アンゴラ、セネガル、コンゴなど。

「マリ人を通りで見かけることは少ないはずです。私たちはあまり外で集まることはなく、もっぱら屋内で集まっているからです」
と語るのは、マリ出身のアダマ・コナッテさん(40歳、カラン生)。アダマさんは2013年11月に設立されたサンパウロ・マリ連合会の創設者の一人で、本業である会計士の能力を生かし、同会の専務理事を務める。マリ人だけでなく、近年ブラジルに来た新しい難民や移民の地位向上のための活動家としても、様々なセミナーや行政との交渉に当たっている。

アダマ・コナッテさん

アダマ・コナテさん

■ひっそりと連携するマリ人コミュニティー

​「ブラジルに来たばかりの時、マリ大使館やブラジル連邦警察ほか、公的機関での様々な手続きの煩雑さに悩みました。言語の壁もあり、職探しも困難の連続でした。それで、マリからの移民が連携することで困難を乗り越えることにしました」

 現在、サンパウロ・マリ連合会は約300人の会員がおり、毎年、マリの独立を祝う祝賀会を開催するほか、公的な手続きや就職のための案内や指導、マリに戻る必要があっても戻れなくなった人々への経済的援助や生活面での緊急支援などを行っている。アダマさんのもとには、ブラジルに来たばかりのマリ人から緊急に連絡が入ることも少なくない。アダマさんはセントロ地区でアパートをシェアして一緒に暮らすマリ出身のモウサ・ジアバッテさん(42歳、アンカール生/本誌2019年4月号参照)とともに、自宅を開放して、新しく来たマリ人のブラジル連邦警察での難民申請手続きの予約や書類作成などをサポートしている。

 モウサさんは、
「今は世界のマリ人のディアスポラ(離散)ネットワークもあります。日本の京都精華大学のマリ出身のウスビ・サコ教授ともつながっていますよ」
とにこやかに話し、マリ人ならではの連携姿勢を感じさせる。

アダマさんと一緒に暮らすモウサさん(右)とマリ人の友人たち

アダマさんと一緒に暮らすモウサさん(右)とマリ人の友人たち

■ブラジルとの最初の出会いは文学​

 アダマさんは2012年7月にブラジルに到着。観光ビザで入国し、翌年に難民申請を行った。

「私がブラジルを知ったのは学生の時です。Kangni Alem (55歳、トーゴ生)が著したブラジルでの奴隷制に関する描写のある文学作品に出会い、ブラジルに来ることに興味を持ちました」
と話す。

 マリでも会計士の勉強をしていたが、ブラジルで学びたいという気持ちにも後押しされて、単身でサンパウロに足を踏み入れた。最初はホテルで滞在し、その後はブラス地区の移民博物館に隣接するアルセナル・ダ・エスペランサ(*1)(Arsenal da Esperança)でしばらく過ごし、情報を収集した。

 マリでは公用語のフランス語とマリンケ語、マンディング語を話し、英語、フランス語も勉強していたため、ポルトガル語も半年から一年ほどで慣れたが、最初はポルトガル語の壁にぶつかり、様々な手続き、住居探し、雇用の問題で困難にぶつかった。マリでは家族と一緒に不自由のない生活を送っていたが、異国では身の回りのこともすべて一人でこなさなければならなくなり、友人との助け合いの大切さを知ったという。

「マリでは基本的に女性が料理をするため、ほとんど台所に立ったこともありませんでした。サンパウロに来てから必要に迫られて料理も覚えました」

というアダマさん。今は自炊が基本で、毎日の食事にはじまり、生活に困った友人や来客が来た時には、マリ料理と一服のお茶まで素早く用意する姿はすっかり板についている。

「食材は安く手に入るのでいつもマリ料理を作ります。ブラジル料理は好きになれません。特にフェイジョアーダは…」
と言い、イスラム教徒のため、豚肉が入ったフェイジョアーダは食べられない。

「私は日本茶をいつも飲んでいますよ」
と見せてくれた愛飲するお茶は、ブラジルで日本人移民が生産している煎茶。この煎茶の種のオリジナルは、日本人が移民してくる時に寄港したアフリカで入手した緑茶ということで、アダマさんも「マリで飲んでいた味と同じ」と懐かしむ。日本茶とは飲み方は異なり、水から茶葉を入れ、沸騰してから10分ほど煮出し、好みで砂糖やミントなどを加える。コップから50センチ以上離れた高さから器用にお茶を注ぐ姿が印象深い(*2)

「食後に飲むと健康にいいんですよ」
との言葉通り、アダマさんとマリの友人たちは肌つやがよく若々しい。

マリ式のお茶を入れるアダマさん

マリ式のお茶をいれるアダマさん

■人種差別や外国人差別は存在する

「サンパウロの人々は明るく移民を受け入れてくれ、多様性への自由があるのは確かです。しかし、連邦警察での書類審査の遅延、住居や雇用の確保、難民や移民の人権は決して尊重されているとは言えません」
と、特にアフリカからの移民や言葉ができない移民に偏見が持たれることを強調する。

 海外でマリ人の大きなコミュニティーは、ヨーロッパ、中央アフリカ、西アフリカ、米国にもあるが、アダマさんの家族は全員マリにおり、将来はできればマリに戻りたいと考えている。

「独立して、結婚して、マリで家族と一緒に生活することを願っています。何かに不足したり、誰かに助けを求めたりすることなく、人生で私の魂である両親を助けて過ごしたいです」

<註>
(*1)旧移民収容所である移民博物館の施設の一部を利用して、身寄りがなく、仕事、食糧、健康などの問題を抱える、いわゆる「ストリートピープル」を一時的に受け入れ、社会福祉、洗濯、医療、識字能力の取得、図書館などのサービスを提供している。
(*2)PindoramaのYoutubeチャンネルにアップされたマリ料理の動画および2021年7月号のレシピコーナー参照。


おおうらともこ
1979年兵庫県生まれ。
2001年よりサンパウロ在住。
ブラジル民族文化研究センターに所属。
子どもの発達にときどき悩み励まされる生活を送る。


月刊ピンドラーマ2021年9月号
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