シリア編 せきらら☆難民レポート 第19回 月刊ピンドラーマ2021年3月号
#せきらら☆難民レポート
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#ピンドラーマ編集部 企画
#おおうらともこ 文と写真
コロナ禍でネガティブなニュースが錯綜する中、希望を感じさせる語学学校がある。シリアから難民となったモハマド・アルサヘブさん(40歳)の経営する『セントロ・ダ・リングア・アラベ(Centro da Língua Árabe)』だ。
「自分の知っていることを全て、新しいビジネスに投資しました」
シリアで映像の編集をしていたモハマドさんのキャリアは、ロゴ作成からSNSを通じた学校の宣伝からオンライン授業まで、ベンチャー立ち上げの基礎となった。パンデミックが始まる前は対面授業のみを実施していて、一回のコースで多くて25人の生徒が集まる規模だったのが、外出自粛で導入したオンライン授業により、生徒数が倍増した。昨年は1年で150人、今年最初の授業では50人の生徒が集まった。
同校は2018年1月に開校してからアラビア語授業とアラブ文化のワークショップを実施してきた。ブラジル生活6年で「今も英語の方が簡単」と言うモハマドさんだが、そのカリスマ性と流暢なポルトガル語でブラジル人にアラビア語を教え、学校運営にも尽力する。語学の才の秘訣を尋ねると、
「子どものような真っ白な心で異文化や他者を受け入れること」
と。アラブ人にもブラジルより出身国の文化を良いと思い、自分たちのコミュニティーばかりで過ごす人たちがおり、そうするとポルトガル語の上達が遅れてしまうと話す。
モハマド・アルサヘブさん
◆「運試し」と思い難民に
「シリアで所有していた5軒の家も、自家用車も今はどこに行ってしまったか知る由もありません」
首都ダマスカス出身のモハマドさんは、2011年にシリア戦争が始まってすぐにドバイに移住した。友人の家に暮らし、ネットオークションで中古品を販売して1年を過ごしたが、滞在許可も得られず住居も借りられずベイルートに移った。ベイルートでもシリア人難民を取り巻く状況は厳しく、滞在許可がないため銀行口座も作れなかった。2年ほどテレビのニュース番組の映像編集の仕事をしていたが、2014年、唯一シリア人を即時受け入れていたブラジルに「運試し」と思って難民となる決心をした。
「アマゾンとカーニバルしか知らなかった」ブラジルに到着し、10日ほど空港近くのホテルで滞在した。身寄りもなく、ポルトガル語も難民申請の仕方もわからず、英語でコミュニケーションしながら2ヵ月後にようやく難民申請を行い、5か月後にはRNA(外国人登録証)を取得した。昨年にはブラジルに帰化し、シリア戦争が始まった直後にエジプトに移った母親と妹とは、シリアのパスポートではエジプトに入国できなくなったため10年間会えないままだったが、再会の見通しが持てるようになった。
◆語学教師としての才能を発見!
インターネットで見つけたサンパウロ市内のシェアハウスで暮らし始め、ブラジル人との共同生活の中、1年半ほどでポルトガル語に慣れることができた。
モハマドさんは23歳の時から2年間、シリアでは勉強する学校のなかった映画制作を学ぶためウクライナで暮らしていた。ウクライナは生活費も安く、シリア人がビザを取得しやすい国だった。授業は英語で、日常生活はロシア語だった。シリアに戻ってからもアニメや広告の映像編集の仕事でキャリアを積み、良い生活を送っていた。ブラジルでも同じ職を求めて就職活動したが採用されず、8か月は無職だった。やがてeラーニングの会社でウェブデザインの仕事を得たが、同社が半年ほどで閉鎖し、新しい人間関係を求めてNGOジェネシス(Instituto Base Gênesis)で難民のためのポルトガル語教室と英語を教えるボランティアに参加した。その後、NGO・アブラッソ・クルトゥラル(Abraço Cultural)で難民の語学教師養成コースを受講して英語を教え始め、5人の生徒にアラビア語を教える機会を得た。そこで、アラビア語教師として好評を得たことで、『セントロ・ダ・リングア・アラベ』の設立を思い立った。サンパウロにアラビア語専門の学校がなかったこともビジネスチャンスと捉えた。
パンデミック前の学校のイベントで生徒の皆さんと
◆アラブ文化への理解が阻まれる要因
「アラブ諸国はお金があってもブラジルでアラブ文化を普及する活動に資金援助しません。イスラム教の普及と合わせた場合は、モスクなどに資金提供しますが、それではより広く人々にアラブ文化が理解されません。私はその壁を乗り越え、多くの人にアラブ文化に親しんでもらい、アラブ世界を身近に感じてもらうのが願いです」
と語るモハマドさん。ダマスカス出身のフィアンセや生徒だった友人たちの協力とアイデアで、語学だけでなくカリグラフや化粧、ダンスなどのワークショップも開催してきた。英語やスペイン語ほどではないものの、確実に存在するアラビア語へ興味のある人たちに、SNSを通じて学校の存在が知られ、オンラインを導入してからは他州からも参加できる道が切り開かれた。
「生徒はアラブ移民の子孫やアラブ文化に興味がある人、アラブ諸国へ旅行やビジネスで訪問する人が多いです。中には『アラブ人の恋人がほしい』『恋人がアラブ文化を好きだから』という人もいましたが、恋人ができたら勉強はストップしてしまいました」
と笑顔で授業を振り返る。
◆戦争だから教えられたこと
「経済破綻したシリアにはいつ戻れるかもわかりません。今後戻ったとしてもまたゼロからのスタートです。今はブラジルで築き始めた自分のキャリアを伸ばしていきたいです」
ブラジルもシリアも人を温かく受け入れるのは似ているが、シリアはもっと家族関係が強固で、ブラジルの人間関係に自由さを感じているというモハマドさん。一方で、比較的物事をお金で解決できたシリアに比べ、ブラジルは官僚主義的で融通がきかないと感じることもある。
2011年3月にシリア戦争が始まってから10年。モハマドさんも難民となったシリア人の誰もが決して平たんな人生ではなかった。
「戦争は悪いのは確かですが、人生で本当に大切なもの、そして『命の価値』を教えてくれました」
と、生まれ変わった気持ちでモハマドさんは前進し続ける。
オンライン授業をするモハマドさん
オンライン授業中のパソコン画面
●インフォメーション
『Centro da Língua Árabe』
住所 Rua Afonso de Freitas, 45 - Paraíso
電話 (11) 9 3009 9689
HP https://www.centroarabe.com.br
Facebook https://www.facebook.com/centroarabe.br/
※アラビア語は英語でも受講可。
企画:ピンドラーマ編集部
文:おおうらともこ
月刊ピンドラーマ2021年3月号
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