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第66回 実録小説『たまには人助けもいいんじゃない?』 カメロー万歳 白洲太郎 2021年9月号

#カメロー万歳
#月刊ピンドラーマ  2021年9月号 HPはこちら
#白洲太郎 (しらすたろう) 文

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 2021年8月7日、ブラジルでは父の日の前日ということで盛り上がるかに見えたフェイラ(青空市場)であったが、白洲商店の屋台には閑古鳥が鳴いていた。白洲太郎はビーチで使うような折りたたみ式のサマーチェアにもたれかかりながら、彼の妻になる予定のちゃぎのとオニギリを頬張っている。それにしても寒い。ブラジルは冬真っ盛りで、なんでも南の方では南極からの寒波が猛烈な勢いで押し寄せてきているらしい。常夏をイメージさせるこの国も、寒いときは寒いということなのである。

 客がまったく来ないといっても、それは時間帯のせいかもしれん。ベテラン露天商らしく、太郎は落ち着いた表情でそう分析していたが、その実、彼の心は今朝起こった事件により散り散りに乱れていた。目をつぶると、その時の光景がまざまざと蘇ってくる。まさに穴があったら入りたい、という心境であった。

 時は数時間前に遡る。

 夜明け前、太郎とちゃぎのは愛車ウーノを慎重に走らせながら、隣町へと向かっていた。暗闇の中に霧が立ち込め、かなり見通しの悪い状況ではあるが、運転できないというほどでもない。

 しばらく行くと、100メートルほど前方の反対車線に車のハザードランプが点灯しているのが見えた。目を凝らすと、誰かが止まってくれというジェスチャーで手を振っている。ちっ、めんどくせーな。思わず本音を口にしかけたが、これまでに散々、通りすがりのブラジル人に助けてもらっている手前、さすがの太郎も無視はできない。それに黙って通りすぎれば、愛しのちゃぎのにも軽蔑されてしまうだろう。そんな計算も働き、素直に車を止めた太郎であったが、新手の強盗じゃないだろうな、という警戒心も多分に持ち合わせている。

 ところが、車両の近くに佇んでいる青年をひと目見て、そんな不安は氷解した。とても善良そうなモレーノだったからである。傍らには金髪の婦人が肩を震わせて寄り添っており、車のなかには白髪の老婦人が毛布にくるまっていた。

 青年は助かった、という表情を隠そうとはせず、気がはやるのも無理はない、ラッパーのような早口で、パンクをしてしまったこと、ジャッキはあるがタイヤを交換するためのレンチがないこと、だからそれを貸してはくれまいか?

 というようなことを一気にまくしたてた。なるほど、事情はわかった。困ったときはお互い様、快く助けて進ぜよう。太郎は心の底からそう思ったが、問題なのはレンチが保管されている場所である。愛車ウーノの後部座席は仕事道具を運ぶために取り外され、そこに台車や屋台の骨組み、商品の入ったズタ袋、ミリタリーバッグ、パラソルや重し用の石など、ありとあらゆるものが積まれており、それらをすべて下ろさないことにはレンチを取り出すことができない仕組みになっていたのである。本気を出せば数分で終わる作業ではあるが、やはり億劫である。それにレンチを貸すということは、タイヤの交換作業が終了するまで待たなくてはならないということであり、せっかく市場に行くために早起きをしたのに…という狭い心が言葉となって表現されるのに時間はかからなかった。

「レンチ貸すのはいいけど、オレあんま時間ないからね」

 ちょっとぶっきらぼうな感じでそう言ってしまったのである。青年は急いで作業をするから、お時間は取らせませんよ。と恐縮しきりであったが、その瞬間、太郎は自分の意地悪な言葉にかすかな後悔を覚えた。とはいえ、これから荷を下ろさねばならぬことを考えると、手間であることに違いはない。この暗闇の中、車を止めただけでも親切だし、朝の貴重な時間を使っての救援なのだから、多少の無礼も致し方なし。太郎はそう己を納得させたのである。

 面倒くさいという気持ちもあるが、たまには人助けもいいんじゃない?

 と、ようやくポジティブな心境に至った太郎が愛車ウーノの後部ハッチを開けようとしたまさにそのとき、異変が起きた。カギをいくら差し込んでもハッチが開く気配がまったくしないのである。ここ数週間、たしかに愛車ウーノの後部ハッチはご機嫌斜めであった。オイルをさし、汚れを拭き取ってやることで、都度、その問題は解決したと思っていたが、まさかこの場面で再び!? 太郎はしばらくガチャガチャやっていたが、こうなってしまった以上、ハッチを外側から開けることは不可能である。レンチを取り出す唯一の方法といえば、車のフロントドア(太郎の車は2ドア仕様)から、コツコツと荷下ろしをすることであったが、そうした場合、かなりの労力になるのは目に見えている。さきほど意地悪な発言をしてしまった手前、できることはしてやりたいという気持ちになっていた太郎であったが、早朝とはいえ、決して交通量の少ない通りではないことから、青年らにとっても他の車を止めた方が良いという結論になり、太郎はなんの役にもたたずに放免されることになったのである。

 青年たちは一応、感謝の気持ちを述べてはくれたが、きまりの悪い太郎はそそくさと運転席に戻り、エンジンを始動させるしかなかった。中途半端な親切心が丸つぶれになった瞬間である。こんなことになるなら、せめて気持ちの良い対応をしてあげればよかった。と、後悔しきりの落ち武者風東洋人であった。あの意地の悪い発言でさえ、レンチを貸し出し、タイヤ交換が無事に終われば結果オーライ、『初めは嫌な人かと思ったけど、実はいい人だったんだね』という感想に落ち着き、日本人ってやっぱりgarantido(保証つき)やわ!と、尊敬されたに違いないのであるが、悪態をついたうえに役立たずとなると、言い訳のしようがないのである。

 早朝にこのような出来事があったため、太郎はその日1日をアンニュイな気分で過ごす羽目となった。

 人助けをするなら気持ちよく。

 それが相手のためでもあり、自分のためでもあるということを、太郎は40目前にして学んだのであった。


白洲太郎(しらすたろう)
2009年から海外放浪スタート。
約50か国を放浪後、2011年、貯金が尽きたのでブラジルにて路上企業。
以後、カメローとしてブラジル中を行商して周っている。
yutanky@gmail.com
Instagram: taro_shirasu_brasil
YouTube: しらすたろう
Twitter: https://twitter.com/tarou_shirasu


月刊ピンドラーマ2021年9月号
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