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ルーモ・アオ・エクサ Rumo ao Hexa 〜6度目への闘い〜

特集 ワールドカップ2006ドイツ大会 <第1部>
#月刊ピンドラーマ  2006年6月号
#下薗昌記 (しもぞのまさき) 文

 四年に一度、世界中が熱狂するサッカーの祭典、FIFAワールドカップ。6月9日に開幕するドイツ大会で最も注目を集めるのが「カナリア軍団」ことブラジル代表だ。世界で唯一、全18大会出場を果たしている芸術家集団は、前回2002年の日韓大会の王者として前人未到のエクサ・カンペオン hexacameão(6度目王者)に挑む。ルーモ・アオ・エクサ(6度目への闘い)を合言葉にブラジル全土が熱狂する今大会の見どころを探る。

史上最強への挑戦

 20万人以上が競技場内で涙したマラカナンの悲劇(1950年)。17歳で初優勝に貢献した天才ペレの頭角(58年)。ジーコ Zico ら魅惑の攻撃陣がまさかの敗北を喫した悪夢のイタリア戦(82年)――。栄光も屈辱も含めて、ブラジルはワールドカップの節目に足跡を刻んできた。数多くのクラッキ(名手)が生み出した名場面とともに。

 過去、様々な大会に優勝候補として挑んできたブラジルだが、今回ほど圧倒的な戦力、そして前評判の高さを誇ったのは例がない。「全ての時代において最高」との肩書きを持ち、ペレ Pelé ら数多くの天才を擁した70年メキシコ大会の優勝チームを凌駕しうる陣容が、今回のセレソン Seleção(ブラジル代表の愛称)――。

魔法のカルテット

 今大会の見どころはやはり、攻撃陣に尽きる。現在世界ナンバーワンのロナウジーニョ・ガウショ Ronaldinho Gaúcho を筆頭に前回得点王のロナウド Ronaldo、貴公子カカー Kaká、そしてタンキ(戦車)の異名を持つアドリアーノ Adriano の4人で構成する前線は「クアルテット・マジコ quarteto mágico(魔法のカルテット)」と呼ばれ、スペクタクルそのものの攻めを見せてくれる。さらにペダラーダ pelada(跨ぎフェイント)を駆使する天才FWで、昨年サントスからレアル・マドリー(スペイン)に移籍したロビーニョ Robinho の存在が、魅惑の攻撃をさらなる高みに引き上げる。より貪欲に攻撃を求める傾向があるブラジルのメディア・評論家は前述した4人に加え、ロビーニョを共存させる「クインテット・マジコ quinteto mágico(魔法の5人組)」を要求。かつて代表を率いたルシェンブルゴ Luxemburgo(現サントス監督)までもが「私なら5人を共存させうる」などと発言したこともあり、クアルテットかクインテットかの論議に拍車をかけていた。

「現代サッカーは攻守のバランスが不可欠。クアルテットでも十分攻撃的だ」。レアリスタ realista(現実主義者)と評されるパレイラ監督 Parreira だけに、現実的には5人の同時起用はあり得ないが、ここまで攻撃陣に才能が揃うのは「王国」といえども極めて稀。ペレやリヴェリーノ Rivelino、トスタン Tostão ら5人の天才を共存させ、史上初のトリ・カンペオン tricampeão(3度目優勝)を成し遂げたメキシコ大会を上回りうるという根拠もこの辺にある。

ジンクスとの戦い

 ただ、ワールドカップの女神は非常に気紛れだ。ドイツでブラジルはいくつかの「ジンクス」と戦うことになる。

 ファヴォリチズモ faoviritismo(下馬評の高さ)――。過去の歴史を紐解くと、優勝候補に挙げられたブラジル代表が優勝した例は一度もない。地元開催で決勝で引き分けさえすれば初優勝が決まったはずの50年はウルグアイに1対2で敗北。70年大会に匹敵する陣容といわれ、圧倒的な優勝候補だった82年も引き分けでよかった2次リーグ最終戦でイタリアに2対3で敗れているし、記憶に新しいところでは前年のコンフェデ杯で圧倒的な優勝を飾り、優勝への最右翼として乗り込んだ98年フランス大会でも地元フランスを相手に決勝で涙を飲んでいる。

 逆に期待されていないセレソンは強い。58年の初優勝はもちろんのこと、70年大会では軍事政権を率いたメディチ大統領(当時)の干渉で直前に監督がザガロに代わるなど「泥縄」的な人事が功を奏し、見事な結果につながった。予選史上初黒星をボリビアに献上し、「史上最低」とさえ言われた94年アメリカ大会、そして辛うじて予選を突破した前回大会と前評判の高さと一致しないのがワールドカップでのブラジルだ。カカーは言う。「無敵だと思われている僕らに対し、どの国もとてつもないモチヴェーションで挑んでくる。厳しい大会になるよ」。

 二つ目の外敵が、欧州での開催ということだ。過去17大会中、「旧大陸」が開催地となったのは実に9回。このうち南米勢が優勝したのはペレが鮮烈なデビューを果たした58年のスウェーデン大会ただ一度。同様に6度の南米開催で欧州各国の優勝はない。現在、セレソンのメンバーの大半が欧州各国リーグに所属するとはいえ、やはり欧州は厳然たる「アウェー」なのだ。

 さらにジンクスをあげると近年、ワールドカップ前年に行われるコンフェデ杯での優勝チームは翌年に輝けないという事実がある。97年に圧倒的な力を見せ付けたブラジル、2001年に優勝したフランスともに本大会では栄冠を逃している。前年にチーム作りのピークを迎えてしまうことの怖さを指摘する識者も多いが、奇しくもブラジルも昨年のコンフェデ杯で優勝に輝いている。

 余りにも豪華なピッチ内の才能とは対照的にピッチ外から聞こえてくる不安材料をいかに取り除くかーー。94年大会でもコンビを組んだパレイラ監督とザガロ・テクニカルコーディネーターが見せる精神面での采配も大会の鍵を握るのは間違いない。

 負の歴史は繰り返すのか、それとも史上最強軍団が誕生するのか。現地で観戦する人はもちろんのこと、テレビの前で声援を送る方もまさしく「歴史の証人」になりうるのだ。

記録に挑む男たち

 スター選手の「万国博覧会」とでもいうべきワールドカップ。王国が誇るクラッキ(名手)たちがやはり大会中の耳目を集めるのは間違いない。

「ペレを超えたい」。今大会で数々の個人記録に挑むのがフェノメノ Fenômeno(怪物)ことロナウドだ。前回大会で負傷からの奇跡の復活を果たし、通算8得点で大会得点王に輝いた背番号9は「王様」ペレ超えを明言する。

 世界で唯一ペレだけが成し遂げている3度の優勝への比肩はもちろんのことだが、得点に生きてきた彼だけが目指せる記録がある。現在ペレのワールドカップ通算得点12に並んでいるロナウドだが、ドイツの地で一点でも奪えば、ブラジル史上最多得点者としてさらなる栄冠を飾ることになる。

 ブラジルという枠組みだけではない。「爆撃機」の異名で知られたドイツ(旧西ドイツ)のストライカー、ゲルト・ミューラーが持つ大会通算記録14も更新は可能。二度と破られることのない記録と言われた数字だけに、あと3ゴールで「RONALDO」の7文字は永遠にサッカー史に刻まれる。

鉄人カフー

 ロナウドのような華やかな記録とは対照的だが、心身ともにタフな男だけに許される記録を目指す「鉄人」がいる。大会期間中に36歳の誕生日を迎える不動の右サイドバック、カフー Cafu である。

 前回大会、主将として横浜の地で栄光のトロフィーを掲げたカフーは90年の代表デビュー後、すでに最多となる143試合に出場。ペレでさえ果たせなかった三大会連続の決勝でのプレーという記録を唯一達成しているが、今大会は自らの記録更新のみならずさらなる偉業に挑戦する。

 主将として初の連覇――。これまでにイタリア(34、38年)、ブラジル(58、62年)の二か国だけが達成している連続優勝だが、いずれも主将は異なっている。7月9日のベルリンでキャプテンマークを腕に巻いた背番号2がトロフィーを掲げているのか。もし答えが「SIM(イエス)」ならば、これまでブラジルサッカー界の辞書で「カピタン Capitão(主将)」の項目に刻み込まれてきた70年大会の主将、カルロス・アウベルト・トーレス Carlos Alberto Torres に替わって、カフーの名が刻み込まれることになる。

「94年大会、僕は若いと言われ、98年ではセンタリングの上げ方を、02年には点の取り方を知らないと叩かれた。今や僕は年寄りさ。10年には何て言われてるんだろうね(笑)」。大会のたびに聞かされた数々の批判を逆手に取るように笑うカフーはまだまだ前しか見ないつもりだ。

栄光の背番号10

 一方、記録に残らなくても「記憶」に残るクラッキがブラジルにはいる。ペレとともに58年、62年の連覇に貢献した「ドリブルの悪魔」ガリンシャ Garrincha や70年の優勝の原動力の一人、トスタン、「ボンバ・アトーミカ(原爆)」とさえ評された強烈な左足のシュートを誇ったリヴェリーノ、そして悲運の天才、ジーコ……。今大会では主だった個人記録には縁がないかもしれない。ただ、ペレ以来代々受け継がれてきた栄光の背番号10とともにドイツに乗り込むのがロナウジーニョ・ガウショだ。

 ファンタジー溢れるドリブルとパステクニック、さらには強烈なシュートと古きよき時代の香りを残しながらも現代流のアスリートとしての強さを兼ね備えたこの男が全世界の注目を集めるのは間違いない。前回大会ではあくまでもロナウドやリヴァウド Rivaldo の「お供」だったロナウジーニョは今や、ブラジル人が愛して止まない「フッテボール・アルテ futebol arte(芸術サッカー)」の象徴と化した。

 70年がペレの大会、86年がマラドーナの大会とそれぞれ呼ばれたように今大会がロナウジーニョのそれになる可能性は十分だ。


下薗昌記 (しもぞのまさき)
大阪外国語大学外国語学部ポルトガル・ブラジル語学科を卒業後、全国紙記者を経て、2002年にブラジルに「サッカー移住」。約4年間で南米各国で400を超える試合を取材し、全国紙やサッカー専門誌などに執筆する。現在は大阪を拠点にJリーグのブラジル人選手・監督を取材している。 


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