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「再びブラジルへ」 黒酢二郎の回想録  Valeu, Brasil!(第10回) 月刊ピンドラーマ2024年8月号

前回は太平洋の向こう側時代のお話でした。アフリカでは離婚に至り、ヨーロッパでは身体が動かなくなって入院し、その際にブラジルに戻って暮らす決心をしたとお伝えしました。黒酢二郎には、少しでも子どもたちに寄り添って父親としての役割を果たしたいという強い気持ちがあったのです。

ヨーロッパから日本に帰任してからほぼ直ぐに会社を辞め、ブラジルに渡って就職活動を開始したのは45歳の時でした。時は2011年、ルーラの後継者であるジルマ・ルセフが大統領に就任した頃です。行き詰まったらリセットすればよい、という開き直りの思想をブラジルで学んだことが大いに役立ったわけです。元の会社の先輩が私がブラジルで仕事を探し始めたことを知って、親切にも「また一緒に働かないか?」と声をかけて下さいました。全く別の会社で再出発という選択肢もありましたが、熟考の末ご厚意に甘えさせていただくことにしました。

以前に取得していたブラジルの永住権が失効していなかったので、現地社員としての採用手続きはスムーズに進みました。ゼロからの再出発はとても新鮮で、良い緊張感を持続させてくれました。駐在員の時と比較すると報酬は激減しましたが、それが私の市場価値であると割り切りました。当初は、家賃を節約するために窓もない古いキチネッチを借りて、食費も切り詰めるという生活でしたが、不思議なことに充実感はありました。日本の会社を辞めてブラジルに移住することに関しては、友人などから反対意見もありましたが、単なる安定をとるよりも、父親としての役割を少しでも果たしたいという自己満足の充足を選択をしたわけです。振り返ってみると黒酢二郎の人生で最良の決断でした。

ブラジル到着直後から子どもたちとの関係修復を試みました。それまでも2年に一度程度は子どもたちの顔を見るためにブラジルを訪問していたのですが、それだけでは十分な親子関係が構築できないのは明らかです。最初は「このおじさん一体誰?」という視線を投げかけられ、共通の話題が少なく会話もスムーズに進みませんでしたが、元奥様と一緒に暮らす子どもたちの家への訪問をほぼ毎週末重ねた結果、徐々に再びパパと呼ばれる関係になっていきました。

また職場での態度も根本から改めました。それまでは実力もないくせに駐在員という立場ゆえに優遇され、沢山の優秀な現地社員に対してマウントをとるという鼻持ちならない「あほガンチ」な私でした。過去の自分に対してきつ~いお灸を据えておきます。ブラジルで就職活動や家探しなどゼロから再出発するために、妙なプライドや思い込みを捨て去り、自然体で着実に信頼と生活基盤を整えていくという方針を立てました。幸いにして、マイホームやマイカーなどの物欲には全く興味がなくなっていました。

経営コンサルタントは人間が変わる方法についてこう述べています。「人間が変わる方法は三つしかない。一つ目は生活の時間配分を変えること。二つ目は住む場所を変えること。三つ目は付き合う人を変えること」。ブラジルに移り住むことにより3つともリセットしたことになりますが、果たして私の我儘な性格は改善できたのでしょうか?一生続きそうな気もしますが。

サンパウロでの再出発後の生活がようやく軌道に乗り始めた頃、ブラジルで二つの世界的なスポーツイベントが開催されました。FIFAワールドカップとリオデジャネイロでのオリンピックとパラリンピックです。2014年のワールドカップはスタジアムにこそ行きませんでしたが、パブリックビューイングで人混みに揉まれながら観戦したり、地元開催で優位だったはずのブラジルが準決勝でドイツに1対7の歴史的敗退を喫したりと記憶に残っています。 また2016年のオリンピックでは幸運にも屋外で球技を観戦することができました。いずれのイベントもブラジルの存在感を世界に示す絶好の機会であり、現地でその雰囲気を実感できた体験は一生の思い出になりました。

しかし、これらの世界的イベントは開催国ブラジルにポジティブな経済効果をもたらしたかというと、必ずしもそうではないようです。また政治・経済面では、2015~2016年に2年連続でブラジルのGDP成長がマイナスとなり、2019年には右派のジャイール・ボルソナーロが大統領に就任し、その直後の2020年から新型コロナウイルスによるパンデミックで社会が深刻な打撃を受けました。勤めていた会社では、ほぼ全員が初めてのリモートワークに移行しました。先進諸国と比較すると好景気と不景気の波が大きいのが特徴ですが、その両極端を生活者として肌で感じることができたのはかけがえのない経験です。

(続く)


黒酢二郎(くろず・じろう)
前半11年間は駐在員として、後半13年間は現地社員として、通算24年間のブラジル暮らし。その中間の8年間はアフリカ、ヨーロッパで生活したため、ちょうど日本の「失われた30年」を国外で過ごし、近々日本に帰国予定。今までの人生は多くの幸運に恵まれたと思い込んでいる能天気なアラ還。

月刊ピンドラーマ2024年8月号表紙

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