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ベネズエラ編 せきらら☆難民レポート 第20回 月刊ピンドラーマ2021年5月号

#せきらら☆難民レポート
#月刊ピンドラーマ  2021年5月号 HPはこちら
#ピンドラーマ編集部 企画
#おおうらともこ  文と写真

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◆日本人の求人募集に応募

 サンパウロに到着して日の浅いベネズエラのカラカス出身のディアナ・ベネスエさん(38)。彼女は、サンパウロに来て間もなく、思いがけず日本人との縁ができた。サンパウロ在住の日本人がインターネットで募集していた仕事に応募したのがきっかけで、採用条件は、「サンパウロ在住」「英語ができる」「日本側のクライアントの提示条件で働ける」というものだった。彼女はその条件を満たしていたが、急きょ日本側で仕事がキャンセルとなり、話は振り出しに戻ってしまった。今回は、その採用担当の日本人を通して、当誌の難民レポートでも紹介させてもらうことになった。

◆出国から5年を経てブラジルに

​ ディアナさんと夫のドグラス・ゴンサレスさん(48)は、2人の娘とともに5年前にベネズエラを後にした。経済破綻したベネズエラを離れ、より良い生活を求めてのことだった。ディアナさんは昨年4月、パンデミックが始まった直後に、当時18歳と4歳の娘を連れてペルーからサンパウロに到着した。その後、ドグラスさんが一足遅れて、今年2月にサンパウロに来着した。

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ドグラスさんとディアナさん

◆ペルーでの外国人嫌悪を逃れて

​ ディアナさん家族はベネズエラを出た後、最初はディアナさんの父親の郷里であるトリニダード・トバゴで1年を過ごしたが、公用語が英語のため、娘たちが学校生活に慣れることができなかった。それで、ベネズエラとの国境の町コロンビアのククタで数か月を過ごし、ペルーのリマに移ることを決めた。

 リマにはベネズエラ人が多く避難して生活しており、今も100万人近くが暮らしているといわれる。リマで1年7か月ほど過ごしたが、ペルー人とベネズエラ人が暴力沙汰の喧嘩をして険悪なムードとなり、少数派のベネズエラ人は先住民同様に、仕事面でも一般のペルー人と同じように扱われないなど、次第に「シェノフォビア(外国人嫌悪)」の空気を感じるようになったという。それで、ブラジルへの移住を決意した。

 バスを乗り継ぎ、アレキパ、プーノ、ボリビアを経て、サンパウロに到着。メルコスル協定により、ベネズエラ人はパスポートか身分証を提示すれば合法的にブラジルに入国できるため、移動に困難はなかった。

 サンパウロに到着すると、カラカス時代からの友人たちが暮らしていたシェアハウスにいったん身を寄せ、その後、家族だけで暮らせるアパートに引っ越した。新移民法により、ベネズエラ人はサンパウロで居住権を得て暮らすこともできたが、多くのベネズエラ人同様に、ブラジルの保護を求めて連邦警察で難民申請を行った。即時にプロトコールが発行され、労働手帳や納税者番号を取得し、合法的に働けるようになったが、パンデミック真っただ中で、良い就職先は見つからず、商店の営業が再開されてからは、ブラス地区のフェイラ・ダ・マドゥルガーダにあるボリビア人オーナーの衣料品店で、販売員をしながら生計を立ててきた。

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フェイラ・ダ・マドゥルガーダ

◆食料、医薬品も手に入らず

​ ディアナさんはベネズエラでは会社経営に携わり、ドグラスさんはジャーナリストとしてテレビ制作のチーフを務めていた。ベネズエラの社会情勢が悪化し始める8年ほど前までは、良い生活を送っていた。しかし、2014年初頭から、18歳以上の市民には身分証番号の最後の数字によって、月曜から金曜の一日だけしか食料品が買えなくなり、数時間行列に並んでも、購入できるのはある週はパスタ一袋だけ、翌週は鶏肉一つだけといった状況になった。闇市は盛んだったが、庶民の賃金では手に届かなかった。医薬品の不足で、ドグラスさんの母親は必要な手術も受けられず、食料や子どものミルクも不足し、生き延びるために5年前にベネズエラを発った。ディアナさんは生まれたての娘を抱え、すっかり痩せ細っていたという。今ベネズエラに居たとしても、ドグラスさんの月給は5ドルほどで、カラカスにいる母親や姉妹にはブラジルから送金している。

 この5年間、長女は落ち着いて教育を受けられず、今はサンパウロでオンラインのポルトガル語の授業を受け、次女は幼稚園の授業を受けている。

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ベネズエラ時代のディアナさん

◆ベネズエラでも縁のあった日本

 ドグラスさんはテレビ制作の仕事以外に、ベネズエラの美術館でも働いていた。かつて、日本大使館や日本企業の協賛で大きな美術展が開催され、日本人と交流したことを思い出し、日本にはとても好印象を抱いている。

 サンパウロに来るまで、ブラジルに日系コミュニティーがあることは知らなかったディアナさんは、
「日本人や中国人がこんなにたくさん行き交うリベルダーデ地区は、まるで映画を観ているみたい」
と印象を述べる。

 第二次世界大戦後、ヨーロッパからの移民を受け入れたベネズエラは、イタリア人、ポルトガル人、スペイン人、レバノン人、シリア人、中国人など、多民族が共生してきた。ディアナさんの祖母はスペイン人、ドグラスさんの祖母はフランス人で、母親はコロンビア人である。移民を受け入れ来たベネズエラだが、ベネズエラ人が外国に多く移民した経験はない。
「ブラジル人は温かく陽気で、人の話に耳を傾けてくれます。ブラジルを気に入っているので、ベネズエラに帰る予定はありません。もし、可能であれば、好機を求めてスペインに移住したい思いはあります。日本にも興味があります」
と、淡い期待を寄せる。

◆仕事が最優先

 目下、ディアナさんたちは生計を立てるための仕事を探している。過去のキャリアにとらわれず、コロナ禍が落ち着き次第、路上の屋台でベネズエラ料理店を開くことを計画している。体格の良いドグラスさんは、警備の仕事を探している。家族で落ち着いて過ごせる自分の家を持つのが、今の夢である。

​インタビュー動画

企画:ピンドラーマ編集部
​文:おおうらともこ


月刊ピンドラーマ2021年5月号
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