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ベネズエラの先住民ワラオ編 せきらら☆難民レポート 第24回

#せきらら☆難民レポート
#月刊ピンドラーマ  2022年2月号 HPはこちら
#ピンドラーマ編集部 企画
#おおうらともこ  文と写真

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◆飢えの危機から逃れて

「今年10歳になる娘は、飢えで病気になり、鼻血が止まらずに痩せて黄色くなってしまいました。それで、ベネズエラを出る決意をしました」

 レアニー・ガブリエラ・トレス・モラレダさん(31歳)は、近年の緊迫したベネズエラの社会情勢を逃れ、ブラジル最北のロライマ州の州都ボアビスタで暮らしはじめたベネズエラからの避難民の一人である。ベネズエラ危機による食糧難から家族の生命にまで危険が及び、2019年、娘と姪の3人で、ベネズエラを出ることを決意した。

「毎日、教師の仕事や文化活動の指導を行っても、一か月の給料で買えるのは米1kgとチーズ1kgだけでした。今も同じような状況が続いています」

 トゥクピタからバスでサンタエレーナに行き、そこから徒歩でトローチェと呼ばれる非合法の道を通ってブラジルとの国境を抜け、ブラジルの国境の町パカライマに到着。メルコスルの国の間では、身分証を示せば国境越えに問題はなく、合法的に居住や仕事もできる。パカライマで4日間を過ごし、書類手続きを行った後、そこからバスでロライマ州の州都ボアビスタまで移動した。

 ボアビスタでは2日間バスターミナルで寝泊まりし、その後、ベネズエラの先住民のリーダーがまとめる「KA UBANOKO」と呼ばれる占有地(Ocupação)で過ごした。後に両親と夫も到着し、昨年、ボアビスタ市内に数か所設置されたシェルター(Abrigo)の一つに居住地を移した。

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レアニーさん

◆ワラオ族のリーダーとして

 レアニーさんは、ベネズエラの先住民ワラオ族のコミュニティであるナバサヌカで生まれ、12歳まで同コミュニティで育ち、その後は近郊の町トゥクピタで育った。

「ナバサヌカではワラオ語だけを使用していました。トゥクピタに行ったばかりの頃、スペイン語は聞けばわかるのですが、全く話せませんでした。徐々に慣れて勉強もできるようになりましたが、ブラジルに来てからはポルトガル語で、ナバサヌカからトゥクピタに移った時とまた同じことが起こりました。今もポルトガル語は得意ではありません」
と、言語の習得で先住民ならではの困難に直面してきたという。

 ベネズエラでは初等教育の教師を務め、「エコ・ワラオ」というグループでワラオ族の文化、特に伝統から現代スタイルのダンスを教えていた。現在、レアニーさんが暮らすシェルターは、「Abrigo Jardim Floresta」と呼ばれる場所で、このようなシェルターはボアビスタ市内に、ベネズエラ人の中でも先住民向けが4か所、一般のベネズエラ人向けが6~7か所ほど設置されている。このシェルターでも、レアニーさんはベネズエラでのキャリアを生かし、ボランティアでワラオ族の文化を子供たちに教え、講演活動や高齢者、女性を助ける活動を通じて、先住民の生活の改善を図ろうとしている。

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ベネズエラで、レアニーさんとワラオ・コミュニティの仲間たち

◆インディオ問題の解決に向けた闘い

 レアニーさんは昨年から、ボアビスタ市にあるPADF(Pan American Development Foundation/汎米開発基金)に勤務し、先住民の問題解決に向けた仕事に携わる。同機関の地域マネージャーであるコロンビア人のヴィセンテ・クアワットさんや、活動家で、難民と移民を支援するNGO、PDMIG(Pacto Pelo Direito de Migrar)の副代表を務めてきたアブドゥルバセット・ジャロールさんと連携して、先住民問題を解決する啓発にさらに力を入れている。

 ベネズエラの先住民は、多くの人権団体があるということにも関心を持ち、ブラジルを避難先として選ぶ。ブラジルではひとまず食料や薬も購入できるが、雇用が乏しく、より良い生活を求めてきたにもかかわらず、実際には様々な偏見や差別に悩まされるという。例えば、会社に履歴書を見せても、「先住民だから」という理由で断られ、先住民でも肌が白くて背が高ければ雇用を得られるが、褐色肌で小柄であれば断られるなど。シェルターでは生活支援も得られるが、居住期間は限定されている。仕事がなければ、また別のシェルターに移り、いつまでも自立した生活ができないことを繰り返すケースも少なくない。

 ブラジルとベネズエラの先住民の権利にも差があり、ベネズエラの先住民はなかなか土地を得られない。医療機関へのアクセスも悪く、レアニーさんの父親(66歳)は新型コロナウイルスに感染したが治療を受けられず、先住民の民間療法で一か月以上かけて回復することができたという。

「私は恵まれている方です」
というレアニーさん。郷里は自然豊かで、川沿いに家が立ち並び、川が通りのような存在だったと懐かしむ。それでも、このままブラジルで生活し続けることを希望している。ベネズエラの国立大学で、ジャーナリズムと教育学を勉強していたが卒業できなかったので、ブラジルで改めて勉強し直したいという希望もある。夢は、「アメリカ大陸を縦断して、様々な先住民ゆかりの地を訪ねる」ことである。

(取材協力 アブドゥルバセット・ジャロール​)

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アブドゥルバセット・ジャロールさん(左)とヴィセンテ・クアワットさん


おおうらともこ
1979年兵庫県生まれ。
2001年よりサンパウロ在住。
ブラジル民族文化研究センターに所属。
子どもの発達にときどき悩み励まされる生活を送る。


月刊ピンドラーマ2022年2月号
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