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フアン・パブロ・ソリン(アルゼンチン) クラッキ列伝 第181回 下薗昌記 月刊ピンドラーマ2024年12月号
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ブラジル人に最も愛されたアルゼンチン人選手は誰かーー。ブラジル国内でこう問われたサッカー好きは、大抵この男の名を口にするのではなかろうか。
ファン・パブロ・ソリン。アルゼンチン代表でもキャプテンを務めた名サイドバックは、クルゼイロの歴史に名を刻んだだけでなく、サポーターの心を今でも掴んでいる英雄である。
アルゼンチンが自国開催だった1978年のワールドカップで初の世界王者に輝く2年前、ソリンはブエノスアイレスで生を受けた。小柄だが左利きのテクニシャンは、天才マラドーナと同じくアルヘンティノス・ジュニオーレスの下部組織でそのキャリアをスタートさせる。
ロックンローラーか、はたまた哲学者かと思わせる長髪の風貌がトレードマークのソリンだがキャリアの最初から、ブラジルとの縁を持っていた。
1995年、現在のU-20ワールドカップに相当するワールドユースの決勝戦でブラジルと対戦。名将、ホセ・ペケルマンが率いたアルゼンチン代表で主将を務めたソリンは当時短髪だったが、ブラジル代表を2対0で破って優勝。1996年から在籍したリーベルプレートではコパ・リベルタドーレスも制し、南米を代表する攻撃的なサイドバックとしてその名を高めていく。
サイドバックに果敢な攻撃参加を許すサッカー王国の攻撃的なスタイルに憧れ、2000年にクルゼイロに移籍したソリンは当時23歳だったが、当時のクラブ史上最高額となる約500万ドルで獲得したことからもその期待の大きさが窺い知れる。
そしてクルゼイロの投資は正解だった。アルゼンチン人ならではの闘志と、ブラジル人選手顔負けの技術を持つ男のプレースタイルを象徴した一戦がある。
イタリアのラツィオ移籍が決まっていたソリンにとって、クルゼイロでのラストマッチとなった2002年のコパ・スウ・ミナスの決勝でアトレチコ・パラナエンセと対戦。7万人近いサポーターを飲み込んだミネイロンスタジアムで、試合の序盤にソリンは頭を負傷。流血する頭に包帯で巻きプレーしたが、自らの絶妙な左足のシュートで決勝点をゲット。チームにタイトルをもたらしたのだ。
その後、ラツィオやバルセロナなどを経て、2004年にも再びクルゼイロに復帰。再び欧州でのプレーを挟んで2008年からクルゼイロでプレーし、2009年にスパイクを脱いだ。
「この素晴らしいサポーターに感謝している。僕はクルゼイロサポーター。僕の心はここにある」。引退を表明した会見の言葉に嘘はない。
クルゼイロで手にした全国的なタイトルは2000年のコパ・ド・ブラジルのみだったが、本拠を置くベロ・オリゾンテ市は、ソリンにとって第二の故郷に相応しい舞台である。
2004年、ワールドカップの南米予選でアルゼンチン代表はミネイロンスタジアムでブラジル代表と対戦。アルゼンチンの一行が宿泊したホテルの前には「オブリガード、ソリン」の横断幕がクルゼイロサポーターから掲げられたが、試合はロナウドのハットトリックで3対1。しかし、ソリンがゴールを決めた瞬間、ブーイングが飛ぶどころか、ブラジル人サポーターさえ沸いた光景を、当時現地で取材していた筆者は覚えている。
「ブラジル相手にゴールを決めた奴として唯一、ブラジル人を沸かせたのが僕じゃないかな」。ローリングストーンズを愛する長髪の名手の言葉に嘘はない。
下薗昌記(しもぞのまさき)
大阪外国語大学外国語学部ポルトガル・ブラジル語学科を卒業後、全国紙記者を経て、2002年にブラジルに「サッカー移住」。
約4年間で南米各国で400を超える試合を取材し、全国紙やサッカー専門誌などで執筆する。
現在は大阪を拠点にJリーグのブラジル人選手・監督を取材している。
月刊ピンドラーマ2024年12月号表紙
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