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「再び転機が」 黒酢二郎の回想録  Valeu, Brasil!(第11回) 月刊ピンドラーマ2024年9月号

20代で日本で転職を決心したのは入院中。ブラジルでの生活が5年を超え、お世話になった方々に微力ながらも恩返ししようと誓ったのは病気で寝込んだ時。そして40代で子どもたちの住むブラジルへの移住を決めたのも入院中。その後、50代になって日本への帰国を決めたのも、ある病気の手術で入院した時でした。どうやら黒酢二郎は病気や入院に直面すると人生の転機となる決断をしたくなる性格のようです。次に入院するのはいつになるのかわかりませんが、その時は更なる人生の転機が訪れるのではと、ある意味楽しみにしています。但し、そのまま帰らぬ人とならぬことを祈るのみです。

2021年、数年振りに実施した健康診断で異常が見つかり、一連の検査を行った結果、ある病気と診断され、その数か月後に手術することになりました。おかげさまで手術は無事成功し、術後の経過も良好でした。人はいつか必ず死ぬというのは誰もが知っている真理ですが、私はその病と診断されたことで、幼い頃に一緒に遊んでいた親戚や友人の中には50歳代で亡くなった例もあるなあと思い出しながら、命が有限であることを改めて実感したのです。

幸いなことにブラジルに住む子どもたちは健やかに成長し、日本に住む90歳前後の両親は今も健在です。なにしろ、日本では女性の2人に1人、男性の4人に1人が90歳以上生きる時代です。しかし、両親が介護なしで生活できる状態が長く続くとも限りません。そこで両親、兄弟、子どもたちとも意見交換をした上で、今まで我儘放題の人生を送らせてもらった私が、後になって悔やまないためにも両親の近くで暮らすことになったのです。両親は「基本的には二郎自身の思うようにしてくれればいい」と言ってくれており、いつも私の決断に理解を示し信頼してくれる彼らには感謝の言葉もありません。勿論、私から子どもたちへの仕送りなどは、少なくとも彼らが大学を卒業するまでは継続します。こうして、通算24年間暮らして慣れ親しんだブラジルを去って日本に帰国することにしたのです。

ただ、先般の手術後に一つ大きな問題が発生しました。私の生き甲斐でありライフワークと言ってもいい、夜の営みが思うようにできなくなってしまったのです。還暦を前に生き甲斐を失った私は暫し悲嘆にくれ、食事も喉を通らない数日間を過ごしたわけですが、そこは長年のブラジル生活で学んだリセットして開き直ることの重要性を思い起こした私は、それまでの変態エロおやじとしての生き方を潔く引退し、「チンは勃たずも弁が立つ男」として生まれ変わることを誓ったのでした。

論語に「子曰わく、吾十有五にして学に志す。三十にして立つ。四十にして惑わず。五十にして天命を知る。六十にして耳順(したが)う。七十にして心の欲する所に従えども矩(のり)をこえず。」という一節がありますが、これは孔子先生の言葉であり、一般人には当てはまらないのでしょう。私の場合、15歳にしてビンビンに勃ってはいたものの、学に志したこともなければ、40歳を過ぎた頃も日々戸惑っており、還暦が近づいた今でも稚心を去ることができず、心の欲するままに従える日は一生やってこない気がします。だからこそ、今後の人生では意識的に人の意見にも耳を傾け、より広い視野で状況を把握できるよう努力を積み重ね、それを習慣化していく過程を楽しみたいものです。プラトニックな関係に舵を切って生まれ変わった黒酢二郎に乞うご期待!

(続く)


黒酢二郎(くろず・じろう)
前半11年間は駐在員として、後半13年間は現地社員として、通算24年間のブラジル暮らし。その中間の8年間はアフリカ、ヨーロッパで生活したため、ちょうど日本の「失われた30年」を国外で過ごし、近々日本に帰国予定。今までの人生は多くの幸運に恵まれたと思い込んでいる能天気なアラ還。

月刊ピンドラーマ2024年9月号表紙

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