姉妹都市提携でアマゾンに移住した井上夫妻 移民の肖像 松本浩治
#移民の肖像
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#松本浩治 (まつもとこうじ) 写真・文
1979年11月、高知県須崎市とパラー州カスタニャール市が姉妹都市提携を結んだ。その時に人事交流として両都市を結ぶために奔走した井上作義(さくよし、75)、常子(つねこ、70)夫妻(ともに高知県須崎市出身)が、提携を機会にアマゾンに移住している。移住した当時は日本での就職が決まっていた子供たちの将来について悩みもしたが、現在では家族そろって同地に馴染み、井上夫妻は定年退職後の生活を楽しんでいる。井上夫妻がブラジルに永住するきかっけとなったのは、米作移民としてベレン市近郊のグァマ移住地に入植した経験を持つ兄・勝(まさる)さん(93)の影響だった。当時、カスタニャール市内に日本庭園を造ろうという動きがあり、庭園造成技師が必要だったが、その資金が市側にはない。勝さんは故郷・須崎市との姉妹提携を結び、弟の作義さんをカスタニャールに呼び寄せ、庭園技師として定着してもらうことで問題解決を図ろうと考えた。
姉妹都市提携の数年前に勝さんは、高知県庁、土佐、南国、須崎の3市をはじめ、作義さん夫妻説得のために訪日。苦難の末、須崎市の産業経済委員会で審議検討した結果、両市の提携案が可決された。
一方の作義さんは須崎市で約25年にわたって家具、建具などの木工品製造販売業務に従事していた。しかし、職業がら喘息がひどく、医者からは「ブラジルに行けるなら、そうした方が良い」との忠告を受けていた。
作義さんは日頃から須崎市関係者と懇意にしていたこともあり、姉妹都市提携には須崎市側の関係者として尽力。勝さんの呼び寄せ依頼もあり、家族でブラジルに永住することを決意したのだった。
しかし、長男の太(ふとし)さん(46)は当時、大学を卒業して日本での就職がすでに決まっており、ブラジル行きを躊躇していた。常子さんは、「一度ブラジルに行ってみて、どうしても日本に帰りたかったら帰ったらいい」と子供の意見を尊重したが、結局、太さんはブラジルに定着することになった。
その頃はすでに日本とブラジル間を飛行機での往来ができたとは言え、一度日本を離れると「二度とは戻れないという気持ちが強かった」と振り返る作義さん。カスタニャールに到着して間もなくは、アマゾン地域特有の「マルイン」など害虫に刺され、夜は蚊の襲撃に悩まされるなど、「大変なところに来てしまった」と悔やんだこともあったという。
最初にあった日本庭園の話も庭園づくりに欠かせない「松」など、適当な植木がないことから結局計画は実行されなかった。そのため、作義さん家族は勝さんの農場でマモン(パパイヤ)の箱詰め作業を手伝うなど、慣れない農作業も行なってきた。
現在は生活も落ち着き、太さんも農場経営を行うまでになった。作義さんは、日本庭園を造ることができなかったことに思い悩み、「何か日本人の記念になるものを造りたい」と95年に日本人仲間の出資を募って同市内にゴルフ場を完成させ、その中心的存在として働いた。
「ブラジルに来るまでは夫婦ともに、須崎市以外に住んだこともなかった」という井上夫妻。「今はブラジルに来て良かったと思えるようになりました」と思わぬ人生の波にもまれながらも、カスタニャールでの生活を楽しんでいる。
(2004年9月取材、年齢は当時のもの)
月刊ピンドラーマ2022年2号
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