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ジャイミ・クリントウィッツ(ジャーナリスト、元VEJA編集局長)(その2) ブラジル版百人一語 岸和田仁 2021年12月号

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#ブラジル版百人一語
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#岸和田仁 (きしわだひとし) 文

 ベリンディア(Belíndia)という合成名詞は、バシャが(ベルギーとインドを合体して)創りだしたものだが、コントラストだらけの国という意味であった。ブラジルは、同じ一つの国土のなかに、先進国ベルギー並みの生活水準を享受している一部の少数派がいる一方、国民の大部分はインドと同程度の貧困に喘いでいたのであった。この新合成語がもたらしたインパクトは広範囲にわたって、大きな影響力を残すことになった。この新名詞は、ブラジルの社会的不正義を明示した比喩としてブラジルのポルトガル語辞典に収録されることになったのだ。
 エドゥマール・バシャは経済学者として経済政策の立案や執行への貢献は実に大きいことは明白であるが、彼はミナスジェライス州ランバリ出身で、レバノン移民二世である。米国のエール大学で博士号を修得した多くのブラジル人経済学者たちの先陣を切った人であり、1994年にハイパーインフレに終止符を打った「レアルプラン」の立案に関わった中心人物であった。通貨の(インフレによる)価値目減りこそが所得の不平等をもたらした主要原因であった。彼こそが、レアルプランの本当の生みの親である、といわれる所以である。その10年前、IBGE(地理統計院)総裁の立場で価格凍結政策クルザードプランにも関与したが、ジョゼ・サルネイ政権による物価指数の粉飾調整に抗議して、同総裁の職を辞したのであった。

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 今思い出しても、1985年から1994年までの「失われた10年間」は、ブラジル国民全員がハイパーインフレに追い回されていた時代であった。そのムチャクチャぶりを、通貨のデノミやインフレ率に焦点をあてて、ざっくりと復習してみよう。

 1980年代に入ると、年間インフレ率は3ケタとなったが、10年もしないうちに四ケタのインフレの日々となると、庶民の物価観念は“認知症状態”へ陥った。なにしろ年間でなく月間インフレ率が50%とか100%だったのだから。当時はバーコードなどなく、スーパー従業員が値札ラベルを商品に張り付けていた時代で、毎週のように新価格を張り付けるものだから、例えば、インスタントラーメンのプラスチック袋には、価格ラベルが3枚も4枚も重なっていて、その1枚を剥がしてレジに持って行っても追及されることもなかった、というほどの混乱の日々であった。中産階層は様々な金融商品を利用してなんとかインフレヘッジができていたが、キャッシュ払いしか手段のなかった庶民層は、給料をもらったら、必要基礎食料などを買いだめすることが唯一のインフレへの対抗手段であった。

 この時代の最初の価格凍結策が1985年のクルザドプランで、1千クルゼイロが1クルザドへとなって、一時期インフレが止まったが、通貨政策と財政政策をリンクしなかったため、すぐに食品など基礎必需品がスーパーの棚から消え失せ、物隠しやらヤミ市場が横行、4年後には、新たなデノミが必要となった。すなわち、

1985年1.000cruzeiros=1 cruzado

1989年1.000cruzados=1 cruzado novo

1990年 cruzado novo ⇒ cruzeiro real(通貨名の変更のみ)

というようにゼロを6ケタもカットしたが、これでも間に合わず、1994年7月のレアルプランで 2.750 cruzeiros reais=1 real というアクロバティックな強硬策でようやく超インフレ経済に終止符が打たれたのであった。

 1960年代は全人口の10%を占める上位の富裕層が、全国民所得の40%を占めていたが、10年後の1970年代にはさらに悪化し、上位10%が全所得の47%を占め、1980年にはこの数値が48%と、さらに貧富の格差が拡大した。この状態を貧困層の数字で再確認すると、1960年全人口の10%を占める最貧困層の所得合計は全国民所得の2%でしかなかったが、10年後の1970年には、半減して1%になってしまった。

 こうした格差王国ブラジルの別名の命名ブームがしばらく続くことになって、「Belíndia」の次は、1995年の「Ingana」で、これは、イギリス(Inglaterra)並みの高い税率と西アフリカのガーナ(Gana)並の公共サービスを皮肉ったものだ。ちなみに命名者はデルフィン・ネト(軍政時代の大蔵大臣・企画大臣)だ。

 2年後の1997年経済学者クラウディオ・デ・モウラ・カストロは、人間開発指数(HDI、ポルトガル語でIDHとは、保健・教育・所得という人間開発の三つの側面の平均達成度を指数化したもの)を州別にチェックした。豊かなリオグランデ・ド・スールは韓国と同じレベルだが、パライーバはインド並みだ、という州別の格差を反映して「Coríndia」だと。韓国(Coreia)+インド(India)の合成語だ。

 この指数の州別比較を改めて2012年に行ったところ、ブラジリア連邦区はイタリアと同レベル、一方、アラゴアスは最低でスリナム並みだったので、また新造語Itanameが誕生した。Itália+Surinameというわけだ。

 今回も元VEJA編集局長ジャイミ・クリントウイッツの“História do Brasil em 50 frases”(ブラジル史を50のフレーズで読む)から引用した。


岸和田仁(きしわだひとし)​
東京外国語大学卒。
3回のブラジル駐在はのべ21年間。居住地はレシーフェ、ペトロリーナ、サンパロなど。
2014年帰国。
著書に『熱帯の多人種社会』(つげ書房新社)など。
日本ブラジル中央協会情報誌『ブラジル特報』編集人。


月刊ピンドラーマ2021年12月号
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