淀貴彦さん(33歳、大阪府出身) 21世紀の日系移民(第7回) 布施直佐 月刊ピンドラーマ2024年11月号
今回は今年9月でサンパウロの日本産品輸入会社を退社し、来年からバイーア州で新事業を立ち上げる予定の淀貴彦さんにお話をうかがいました。
◎「シティ・オブ・ゴッド」と「¥マネーの虎」
高校生の頃、リオデジャネイロのスラム街を舞台にした犯罪映画「シティ・オブ・ゴッド」等を観て「治安が悪そうで美人も多いし面白い所だ」とブラジルに興味を持った。大学在学時に語学学校でポルトガル語のレッスンを週1回2年間続けたが、知人や友人たちからは「えー、何でブラジルなの?」と馬鹿にされることが多かった。そんな悔しい思いをする中、高校・大学時代にYoutube上で夢中になって観ていたテレビ番組「¥マネーの虎」(註)の影響で早い時期から目的意識が根付き、何となく興味を持っていたブラジルにも一度は行かねばならないと決意し、2015年4月、大学卒業後就職をせずにブラジル日本交流協会の研修生として初めてブラジルの地を踏んだ。研修先はブラジルヤクルト商工株式会社の営業部で、書類の整理をする傍ら、週1回ブラジルのヤクルトレディたちと一緒にカートに入れた商品を訪問販売した。言葉もよくわからない自分をブラジル人たちは暖かく受け入れてくれた。週末はブラジリアン柔術の道場に通った。
◎コロナ禍直前にブラジルに移住
翌年3月に日本に戻り、一旦就職し社会人としての経験を積み、「30歳までにブラジルに戻る」と決心した。東京本社の中古オフィス家具買取販売会社「オフィスバスターズ」で約3年間、販売商品の仕入れ営業マンとして勤めた。この会社を選んだ理由の一つはブラジルに行って一文無しになっても捨てられている家具を修理して売っていけば生きていけるだろうという考えからである。
ブラジルでの仕事を探したところ、ニッケイ新聞(当時)の記者枠の求人に応募し採用が決まった。2020年3月16日にブラジルに入国、コロナ禍が広まりロックダウンが始まる直前のタイミングであった。取材に出かけることもできず、会社から電話取材を行う日々が一年ほど続いた。
◎ブラジルで営業マンとして働く
その後、自分で起業する前に、東京で培った営業のスキルがブラジルでも通用するかどうか試したいとの気持ちから2022年に日本産品輸入会社「ヤマト商事」に貿易部の営業マンとして入社。日本産のお酒や食品を小売店やレストランなどに売るために飛び込み営業をかけた。日本のお客さんとは違い、ブラジル人はとても愛想よく応対してくれ良い感触を得るが購入してくれないことが多く、最初はそれに戸惑った。担当した店舗には新しいメニューや購入した商品のディスプレー無料設置を提案し、店の売り上げを伸ばすのと同時に自社製品も購入してもらうようになった。
◎東洋医学を学ぶ
「ヤマト商事」で仕事を始めたのとほぼ同じ頃、ニッケイ新聞の取材を通じて知り合った鍼灸・整体師の岸本晟(キシモト・アキラ)さんに誘われ、サンパウロにある東洋医学振興協会(ANDEMO)で整体・指圧・鍼灸を習い始めた。当時付き合っていた現在の妻の背骨が少し曲がっていてそれを治したいというのも習い始めた動機の一つだ。今は岸本さんの下で研修する傍ら、自身の患者の治療も行っている。
◎新天地での試み
今年6月に結婚、9月には「ヤマト商事」を退社した。来年2月から妻の両親が住むバイーア州ジュアゼイロ市に夫婦で移転し、3年間学んだ東洋医学の診療所を開業する予定だ。ジュアゼイロ市は農業が盛んな土地なので、農作業で体が疲れた人を主にターゲットとして考えている。同時に義母が所有するブドウ畑の経営にも加わり、営業活動・販路拡大及びオーガニック野菜やブドウ以外の果物の開発にも力を注ぎたいと考えている。
◎癒しのテーマパーク
将来は「非日常」を体験できる「癒しのテーマパーク」を開設するのが夢だ。ブドウ狩りや畑で採れた野菜の料理を楽しみ、マッサージで体を癒し、心身ともにリフレッシュできるような空間を創り出したい。そこで提供する料理を考えるために、自分で作った料理をインスタグラムに頻繁にアップし色んな人の意見に耳を傾るなど準備に怠りはない。
淀さんが「虎」になる日も遠くないだろう。
月刊ピンドラーマ2024年11月号表紙
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