「ガチャのあたりはずれ」 黒酢二郎の回想録 Valeu, Brasil!(第13回)~ニッポン帰国後の巻~ 月刊ピンドラーマ2024年11月号
前回は「最終回」と題して、ニッポンに戻ってからの生活設計に関して目論んでいることをお話した上で、「さらば南十字星。サウダージ!」と別れを告げたのでした。そ、そ、そうなんです、前回が最終回のはず・・・だったのです。しかし、その後編集長からご親切に声をかけてもらい、好評だったのか不評だったのか、はたまた誰かが読んでくれたのかさえもわからぬままに、こうして図々しくも読者の皆様に再び拙い文章を披露することに到りました。というわけで、もうしばらくのお付き合い、どうぞよろしくお願いいたします。
時と場所は移り変わって、空に南十字星が浮かぶ南米ブラジルから、地球を半周して北斗七星の見える極東ニッポンに舞い戻ってから早くも約1年。21世紀になって約四半世紀が経過しようとしています。世界情勢をみると、2022年2月にロシアがウクライナに侵攻して始まった戦争のみならず、2023年10月にイスラム組織ハマスがイスラエルを襲撃して再発した因縁の衝突もいまだに続いています。アジアでは中国と台湾やフィリピンとの緊張が高まっている上に、北朝鮮は相変わらず年に何度も人工衛星と称した弾道ミサイルを発射しており、そのミサイルが日本に着弾する可能性がある場合はJアラートという警報システムがテレビやスマホからかなりの音量で鳴り響きます。それに加え、ニュースでは大きく取り上げられることの少ない内戦や紛争は世界各地で起きていて、それらの戦争や紛争も含め、迫害、暴力、人権侵害などにより故郷を追われた人の数は世界全体で1億2千万人に達すると言われています。日本の総人口に匹敵する一般市民が難民や避難民として生きることを強いられているのだと想像すれば、その深刻さを理解できることでしょう。この一触即発の危機的状況が何かのきっかけで武力衝突に発展して各地に飛び火し、いつ第3次世界大戦が勃発しても不思議ではないのかも知れません。
実は黒酢二郎は広島生まれ。広島と言えば、もみじ饅頭、宮島、カープ(プロ野球チーム)、サンフレッチェ(プロサッカーチーム)をご存じの方も多いことでしょう。サンパウロの広島県人会で開催された「フェスティバル de お好み焼き」にも何度か足を運びました。ただ、なんと言っても世界的に知られているのは1945年の太平洋戦争が終わる直前「ヒロシマ、ナガサキ」に原爆が投下されたことでしょう。それに関して忘れられないエピソードを紹介します。その昔ロンドンに住んでいた頃、自宅からヒースロー空港までライドシェア(一般ドライバーが乗客を有償で運ぶサービス)を利用したのですが、その車内で30代くらいの初対面の男性運転手と会話をしていると、こんな問いかけを受けたのです。
「お前さんが生まれたヒロシマでは原爆で何の罪もない市民が10万人以上も殺されただろ。民間人の無差別大量虐殺は犯罪じゃないのか?にも関わらず、なぜアメリカは罰せられることもなく、おまけに日本はアメリカに媚びを売っているんだ?親愛なる家族、友人を殺されて悔しくないのか?仕返ししようと思わないのか?」
そんな質問をされたのは生まれて初めてだったことに加え、運転手の口調が問いかけというよりも、むしろ問い詰めに近かったので少しひるんでしまったものの、次のような趣旨の返答をしました。
「あれだけ多くの民間人が犠牲になったという点については戦争犯罪にあたると思う。また過去の不幸な出来事を決して忘れてはならないとも思う。しかし、我々が歴史を学ぶ意義は未来への責任を果たすことにあるのではないだろうか。当時の日本人は憎悪を抱き続けて復讐を繰り返すという選択でなく、負の感情を乗り越えて平和な未来を構築するという道を選択したからこそ、それが次世代にも受け継がれているのだと思う」
と、『戦争を知らない子どもたち』の代表になったつもりで答えたのを記憶しています。
ちなみにその運転手は、「国を持たない最大の民族」と呼ばれるクルド系で、彼らはトルコ、シリア、イラク、イランにまたがる一帯にその多くが居住しており、それら各国では少数派のため差別や弾圧の対象になることが多いそうです。相手を威圧するような運転手の態度からすると、彼もそのような状況を背負って育ち、何等かの事情があってやむを得ずイギリスにやって来たのかも知れません。いずれにしてもクルド人としての矜持を持ち続けている様子でした。
以前この連載の中で、人生に最も影響を及ぼすのは運ではないだろうか?と書いたような気がします。古今東西の歴史とは、自分ではどうすることもできない大河の流れに左右されてきた人々の営みの集積です。戦争や紛争で子どもを含めた一般市民が犠牲になることほど切ないことはありません。日本に帰ってきて覚えた表現の一つに「親ガチャ」という言葉があります。子どもが親や家庭を選べない状況をガチャガチャ(カプセルトーイ)になぞらえた言葉で、どんな親の元に生まれたかによって子どもの人生が左右されることを意味するようです。「親ガチャ」もさることながら、「時代ガチャ」や「国ガチャ」もしかりでしょう。たまたま戦争が終わってから平和な時代に生まれ、世界が目を見張る驚異的な高度経済成長を遂げ「先進国」となった日本で育ち、蛇口からはいつでもきれいな飲める水が出て、日々の食料は豊富にあり、バブル期のおかげで難なく就職できて、紆余曲折ありながらも3人の子どもたちの父親となり、今まで生死を分かつ事故、事件、天災などに巻き込まれることもなく、のほほんと生き延びていられるというのは、単に黒酢二郎が今まで運に恵まれたからとしか説明がつきません。
(続く)
月刊ピンドラーマ2024年11月号表紙
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