南米銀行と日系社会に貢献した松尾治(まつお・おさむ)さん 移民の肖像 松本浩治 月刊ピンドラーマ2023年12月号
南米銀行(現・サンタンデール銀行)の各支店長など約40年にわたって同行に勤務し、日系社会でもブラジル日本都道府県人会連合会(県連)会長やブラジル日本文化福祉協会(文協)副会長、ブラジル日本移民100周年記念協会執行委員長、日伯文化連盟(アリアンサ)評議員など重責を務めてきた経験を持つ松尾治さん(85歳、福岡県出身)。現在は各日系団体の役員を退きながらも、長年連れ添ってきたホーザ清子(きよこ)夫人(83歳、2世、旧姓・小幡(おばた))の面倒をかいがいしく見ている。
松尾さんは福岡県小倉市で次男として生まれてすぐに、父親が検事として働いていた満州の奉天に母と姉とで行くことになり、1年後にはハルビンに転住。母親の肺病の療養のため、1945年1月頃に7歳で福岡県に引き揚げた。当時のハルビンの記憶はあまりないが、冬場はマイナス45度まで下がる気候で「とにかく寒かった」(松尾さん)のを覚えている。
松尾さんが日本に引き揚げてきた後、翌46年初頭に父親が満州から帰国。その2日後に母親が亡くなり、父親はその後に後妻と結婚した。地元の中学校に通っていた松尾さんは、母方の祖父から「医者になれ」と強く勧められていたという。しかし、松尾さんは満州から引き揚げた際に皮膚病が治らず、医者嫌いでもあった。また、自身としては将来的にエンジニアになるために大学で勉強したいとの思いも持っていたが、当時の家計は厳しく、叶わぬ夢だった。
そうした頃、ブラジルのサンパウロ州リンスで大きな雑貨商とコーヒー園を営んでいた継母の親戚が日本に一時帰国していたことを知った。その時は会えなかったものの、松尾さんは「(医者になることを強く勧める)祖父から逃げるにはブラジルに行くしかない」と思ったという。
結局、中学校を卒業した松尾さんは17歳になっていた55年3月、継母の親戚(義理の伯父)の呼び寄せにより「あめりか丸」で単身、神戸港を出発してブラジルへ。リンスの雑貨商での手伝いを行った。そこで知り合ったのが、伯父の娘に当たる現在の清子夫人だ。また、雑貨商で働いていた当時、南米銀行のリンス支店長だったのが、「吉ドン」と称された後の南米銀行本店役員まで上りつめた吉田揚助(ようすけ)氏。後に松尾さんが南米銀行の本店勤務になった時、吉田氏はリンス時代に訪問した雑貨商で、松尾さんがあいさつしたことを覚えていたという。
その後、57年か58年頃の大霜により、松尾さんの伯父がパラナ州に持っていた50アルケール(120ヘクタール)に及ぶ農園のコーヒーが全滅。銀行から借金を背負うことになり、松尾さんは家計を支えるために21歳で南米銀行のリンス支店に働くことになった。
23歳の時には清子夫人と結婚。言葉(ポルトガル語)を覚えるため、それまでリンスの小中学校と高校1年まで夜間学校に通っていたが、転勤となったサンパウロ市の高校も卒業した。南米銀行で働いている合間に、伯父がサンパウロ市内で営業していたバール(bar)の手伝いをした経験もある。「常に上に行きたい気持ちがあった」松尾さんは、支店長になるために会計士の免許も取得。一女二男の子宝にも恵まれたが、経済的に苦しい状態が続いたという。
仕事そのものは順調で、数年ごとに各支店への転勤が相次いだ。63年から2年間のサンパウロ市の本店勤務後、開店したラパ支店に異動。67年にはサンパウロ州ミランドポリスで初めて支店長として就任した。ペレイラ・バレット支店長を経て、サンパウロ市リベルダーデ区のガルボン・ブエノ支店長になったのが32歳の時だった。
引き続き、サントス、サンベルナルド・ド・カンポと計5つの支店でそれぞれ支店長として勤め、サンベルナルド時代には弁護士免許も取得している。その後、再びサンパウロ市の本店勤務となり、当時、大サンパウロ圏内でA、B、Cの3つに分かれていた「母店(ぼてん)」のうち、「母店A」の最初の母店長も務めた。その後は南米安田保険に出向となり、取締役も勤めたが、南米銀行本店が1998年に身売りせざるを得ない事態に陥り、2000年に約40年勤めた職場を引退した。
「今から思えば自分は運が良かった。ブラジルで様々なことを覚えることができたのは南米銀行のお陰だった」と振り返る松尾さん。本業の合間に各団体の長や役員を務めるなど、日系社会にも尽力してきたが、今は役員を退いている。「お互いに健康で生きられれば」と、今はどこに行く時でも清子夫人と一緒に行動する日々が続いている。
(2023年11月取材)
月刊ピンドラーマ2023年12月号表紙
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