トルコ編 せきらら☆難民レポート 第25回
#せきらら☆難民レポート
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#おおうらともこ 文と写真
ムスタファさん
◆トルコのテロリストとして認定
2017年3月16日付のトルコの新聞イェニ・アキット紙で、「ブラジルで活発に活動するテロリスト」として報道された人がいる。サンパウロ在住のムスタファ・ゴクテペ(Mustafa Göktepe ギョクテペ)さん(44歳)だ。
「2015年からトルコ政府にテロリスト認定され、それまで年に4、5回帰国していたトルコにも旅行できなくなりました。もし帰れば即逮捕されます」
テロリストに認定されていることは、インターネットで検索すればリストアップされており、すぐに確認できる。2015年までのトルコ政府との親密な交流から一変、手のひらを返されたような状況に陥った。
「昨年、父親が新型コロナに感染したのですぐに飛んで帰りたかったのですが、見舞うことすらできなくて...」
と、両親のことを思うと肩を落とす。それでも、ブラジルでの日常そのものは順調で、パンデミックの中でもビジネスは飛ぶ鳥を落とす勢いのムスタファさんだ。
ムスタファさん(左上)をテロリストと伝えたトルコの新聞
◆1日平均500食売れるデリバリーサービス
現在、ムスタファさんはサンパウロ市内でトルコ料理店『LAHMAJUN』を4店舗経営している。その一店舗のデリバリー専門店だけでも、一日平均500食を売り上げる人気店で、全店で55人(2月時点)の従業員が交代でフル稼働している。
「LAHMAJUNはトルコ語でパン・コン・カルネ(肉パン)を意味します。エスフィッハに似ていますが、生地がとても薄いのが特徴です。他にもケバブのシャワルマ(ピタパンのサンドイッチ)、ピデという細長い大き目のエスフィッハ、そして、ほんのりハーブやスパイスを効かせたハイビスカスやレモンのナチュラルジュースがおススメです」
同店付近に近づくと、食欲をそそられるスパイシーな香りに誘われ、他店と一味違う日本人の舌にも合う絶妙なスパイス遣いとお得な価格、そして何よりもムスタファさんの誠実で温かい人柄が、リピーターの増える秘訣なのがよくわかる。
LAHMAJUN - Berrinin 店の前でムスタファさんと友人たち
◆ブラジルに帰化するまで
ムスタファさんはトルコのコンヤで 生まれ、11歳から家族でイズミルに引っ越し、商売をする両親の背中を見て育った。トルコの大学を卒業後、私立高校で情報科の教師として約4年働き、その後、新たな仕事を求めてブラジルを目指した。同時に、現在は米国在住のフェトフッラー・ギュレン氏が始めた「奉仕(Hizmet)運動」を南米にも伝えるのも目的で、アルゼンチンかチリ、そしてブラジルの選択肢の中から、2004年にブラジル行きを決意した。当時、書類やお金がそろっていたにも関わらず、ブラジルの旅行ビザが下りなかったため、解決策としてサンパウロで3か月US$5000のポルトガル語学校に通う契約をして、学生ビザを取得した。アムステルダムを経由してサンパウロに到着。1か月はブラジル人家庭にホームステイして語学学校に通い、その後約一年は友人とシェアハウスで生活した。その間、トルコ語やトルコ文化に興味のあるブラジル人とインターネットで知り合い、ポルトガル語を覚えながら相互に文化交流を図り、半年後にはすっかりポルトガル語には慣れていた。当初、唯一直面した大きな問題は、語学学校用の学生ビザの有効期限が3か月で切れたことで、ブラジルに来て7か月後にブラジルの大学に入学し、新たに学生ビザを取得することができた。
「当時はビザが切れても、一日8レアルほどの罰金を払えば問題ありませんでした。後に一日100レアルくらいに跳ね上がったので、今思えば運が良かったです。それでも、新しいビザを取得するため、一旦パラグアイのブラジル大使館に行く必要があり、二回もパラグアイに行って出費もかさみました」
と思い返す。ブラジルに来てから2年後、トルコ文化を学びたいブラジル人のアレサンドラさんと出会い、後に結婚。ブラジルに来てから3年半後に夫婦で初めてトルコへ渡り、2012年にはブラジルに帰化した。現在は2人の娘に恵まれ、娘思いの優しい父親の顔をのぞかせる。
◆ブラジルとトルコを結ぶ民間親善大使
2017年に『LAHMAJUN』をオープンするまで、ムスタファさんは、ブラジルとトルコ間の旅行業者、ブラジルで公式に4人しかいないポルトガル語とトルコ語の通訳者として、エルドアン大統領のブラジル訪問時やジルマ大統領、その他多くのブラジルの政治家や起業家、学術団などがトルコに訪問する際の通訳として同行し、両国の友好関係を深めてきた。またNGOブラジルートルコ文化センターを創設し、その代表として文化活動も活発に行い、2006年~2007年にトルコのサッカークラブ、フェネルバフチェで監督を務めたジーコにもその活動を称えられた。2015年にはサンパウロ市で5月29日を「トルコ・コミュニティの日」にも制定した。
ブラジル-トルコ文化センターの活動に敬意を表したジーコさんとムスタファさん
◆平和運動が政府ににらまれ...
トルコもブラジルを愛する平和主義者のムスタファさんは、2015年から平和を求める「奉仕(Hizmet)運動」を行う一人として、また、ブラジルで新たに難民申請するトルコ人をサポートしているということで、トルコ政府からテロリストに認定された。2年前にはブラジルのトルコ大使館がムスタファさんのブラジルのNGOにトルコの名前を使用することを禁止し、NGOの名称は「Instituto pelo diálogo intercultural」に改名された。しかし、ブラジルでトルコ文化をポルトガル語で伝えられる希少な人材として、6年前からは引き続きサンパウロ大学の客員教授も務めている。
「かつて私はエルドアン大統領を支持し、一票を投じた一人でした。しかし、この10年で彼は独裁的な傾向が強まりました。今、トルコでは多くの有識者が投獄され、それを逃れて郷里を離れた人も少なくありません」
ムスタファさんによると、今、ブラジルには約1000人のトルコ人が暮らし、約60人が難民申請者や認定者として生活しているという。以前は難民申請するトルコ人はもっと多かったが、なかなか認定されないため、他国へ移った人も少なくない。
「生活に様々なオプションのあるサンパウロは魅力的です。未来のことはわかりませんが、今はブラジルに暮らし続け、さらに事業を成長させるのが夢です」
と、ムスタファさんは気合を入れる。
企画/ピンドラーマ編集部 取材・文/おおうらともこ
月刊ピンドラーマ2022年3月号
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