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ジャイミ・クリントウィッツ(ジャーナリスト、元VEJA編集局長)(その1) ブラジル版百人一語 岸和田仁 2021年10月号

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#ブラジル版百人一語
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#岸和田仁 (きしわだひとし) 文

 (ポルトガルで)1898年に刊行された、最初の本格的ポルトガル語辞書『Novo Dicionário da Língua Portuguesa』の“Brasil”の項目には、「パウ・ブラジル(染料用蘇芳)を採取するマメ科の植物」としか書かれていない。国のブラジルについての言及はまったくなしだ。この欠落をどう説明するか。考えられる答えは、ブラジルの表記をBrasilとするかBrazilとするか、国民のあいだでもどちらにするか意見の一致をみていなかったことから、無用な混乱を避けるためにも、辞書の編集責任者カンディド・フィゲイレードが、あえて国のブラジルについての言及を省いたのだろう、というものだ。(中略)
 ブラジル文学アカデミーの客員会員でもあったポルトガルの国語学者フィゲイレードは、「ブラジルは、世界の文明国のなかでも、唯一、自国の名前をどう書いたらいいかわかっていない国だ」と、1908年に刊行した自著『国語正字法』のなかで記している。(中略)
 1822年のブラジル独立から一世紀たった1922年になっても、表記をzとするかsとするか、国の正式の正字法はペンディングのままであった。当時一番読まれていた作家コエリョ・ネトがブラジル文学アカデミーに対し「ブラジルという単語の表記は正式にsとすべし」と提言したのが、同年11月8日のことであった。この提言は、政府の語彙検討委員会へ提示されたが、同委員会は40日後に、コエリョ提言を支持するとの意見書を発出した。(中略)
 1923年1月18日付けでブラジル文学アカデミーが承認した、sのBrasil表記は、1931年6月14日付け連邦行政令によって、ようやくオフィシャルな表記となった。

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 ブラジルを横文字で表記するとどうなるか。英語ではBrazil、フランス語ではBresil、イタリア語ではBrasile、で肝心かなめのポルトガル語ではBrasil、ということになっている。これは昔から決まっていた常識だから、sとzを間違いないようにと、語学教師は学生たちを恫喝気味に説教してきた。いや、今でも同じような説教が続けられていると決めつけてもさほど的外れではあるまい。

 だが、ブラジルをBrasilと表記することがブラジルで正式に決まったのは、1931年に過ぎない。つい最近のことなのだ。

 1824年憲法では、ブラジルを“Império do Brazil”と表記していたし、1896年に創立されたブラジル文学アカデミーも、“Academia Brazileira de Letras”とz表記であった。

 ブラジル各地の地名表記にいたっては、つい最近まで、いくつもの綴り方があって、面白かった。ちょっと古い文献を読んでいると、例えば、クリチバはCuritibaよりも Curitybaだったし、ニテロイはNiteróiと確定するまではNicteroy ないしNietheroyであったし、マナウスはManausもあれば Manaosもあり、だった。

 今やブラジル文学の古典的作品と認知されている、エウクリデス・ダ・クーニャの“Os Sertões”(直訳:複数の奥地)の初版が1902年に刊行された時、あまりにも多くの単語の表記がページによってごちゃごちゃに混在していたため、全冊回収して、改訂版を発行することになった。

 お役所のなかで国の表記をsのBrasilとすることを一番早く決定したのが大蔵省で、1820年から同省造幣局が印刷製作した紙幣や硬貨の国名はs表記となっている。大蔵省に次いでs採用したのが海軍で、艦内の表記、海兵隊員の教育などBrasilで統一していた。

 というような話を、現代のブラジル人が聞くと、「エー、そうなの」とびっくりする。というよりも、こうした歴史的ファクトをほとんどのブラジル人は忘れてしまっている、というべきだろう。

 だから、歴史に造詣の深い作家やジャーナリストが、様々な切り口から、ブラジルの歴史話を読者にわかりやすいような文体で解説する教養本が出版され、そこそこの売行きをみせることになるのだろう。

 ジョルナル・ド・ブラジル紙の編集幹部、総合週刊誌ISTOÉの国際報道局長、フォリャ・デ・サンパウロ紙文化面編集委員などを経て、総合誌VEJAの編集局長を長年務めていたジャイミ・クリントウイッツが2014年に上梓した“História do Brasil em 50 frases”(ブラジル史を50のフレーズで読む)は、そんな歴史解説書の一冊だ。

 登場するひとたちは、アメリコ・ヴェスプッチから始まって、ペドロ1世の「独立か死か」、ダーウィン(『ビーグル号航海記』)のブラジル奴隷制批判などを追いかけてから、カンディド・フィゲイレードの 「ブラジルは、世界の文明国のなかでも、唯一、自国の名前をどう書いたらいいかわかっていない国だ」の背景を読み解いていく。

 冒頭に引用したのは、この章のさわりの部分である。

 ちなみに、同書のはしがきは、「歴史とはファクトによって成り立つが、フレーズによっても歴史はつくられる」と書き始めている。


岸和田仁(きしわだひとし)​
東京外国語大学卒。
3回のブラジル駐在はのべ21年間。居住地はレシーフェ、ペトロリーナ、サンパロなど。
2014年帰国。
著書に『熱帯の多人種社会』(つげ書房新社)など。
日本ブラジル中央協会情報誌『ブラジル特報』編集人。


月刊ピンドラーマ2021年10月号
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