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第57回 実録小説『町で一番の歯医者 後編』

#カメロー万歳
#月刊ピンドラーマ  2020年12月号
#白洲太郎 (しらすたろう) 文

 1600レアル。

 田舎暮らしのブラジル人の平均月収をはるかに上回るこの金額が何を意味するのかというと、太郎の歯の治療費であった。

 先日、歯の違和感を訴えた太郎は、町で1番といわれる歯医者に検診に行ったのであるが、後日送られてきた見積書を見て、文字どおり目玉が破裂しそうになったのである。

 診察結果は虫歯が2本ということであったが、そのうちの1本の状態がかなりひどく、治療費に1600レアルもかかるというのである。あまりにもべらぼうな金額なので、太郎はその数字を信じることができず、町に数軒ある別の歯医者でセカンドオピニオンを求めることにしたのであった。

 2軒目の歯医者を訪れた太郎は、予約していたこともあり、1秒も待たされることなく治療室に通された。この歯科医院は去年オープンしたばかりと聞いていたが、建物も中の造りも小綺麗で、1軒目に行った歯医者と何ら遜色がないように思われる。現れた女医は学生かと思うほどに若く、そして美人であった。太郎はグッとくるものを感じたが、家では最愛のちゃぎのが待っていることだし、ここは集中して検診に臨ばねばならない。

 そんな太郎の心の動きを知ってか知らずか、ソラーニと名乗る開業医はロン毛の東洋人を診察台の上に横たわらせると、早速口内を調べ始めた。どういうわけか助手はおらず、2人っきりの空間である。ポルノビデオの世界であれば、女医が太郎の上に馬乗りになり、髪の毛を振り乱す展開になるのであろうが、現実に起こることはまずないだろう。そんなことを考えながら目を瞑っていると、ものの5分もかからずに検診が終了したのである。ソラーニは整った笑顔を太郎に向けると、虫歯が5本あることを告げ、さらさらとペンを走らせた。見積書には虫歯の治療と歯石掃除代合わせて600レアルとあり、さらに今日の検診は無料だという。

 狐につままれたような顔をして医院を出た太郎の顔には困惑の色が浮かんでいた。なぜなら1軒目の歯医者では虫歯が2本あると指摘され、そのうちの1本に対し1600レアルもの治療費がかかると診断されていたからである。一方、ソラーニの見立てでは虫歯が5本あるといわれたものの、歯石掃除代も含め600レアルという金額である。まさにアベコベな結果と相成ったわけで、太郎の頭は激しく混乱した。一応考える時間が必要ということで、その場では決断を留保した太郎であったが、心の中ではソラーニのところで治療をする方向に気持ちが傾きかけていた。見積書の内訳は虫歯治療1本につき90レアルであり、それに歯石掃除代150レアルが加算される。1600レアルに比べると、グッとハードルが下がった感じである。

 しかし納得がいかないのは虫歯の本数で、2本なのか5本なのか、一体どっちが本当なのであろうか。1軒目の歯医者には検診だけで50レアルも支払ったが、見落としがあったとでもいうのか? であれば、とんだヤブ医者ということになるが、あるいはソラーニの誤診かもしれない。謎は深まるばかりである。

 家に帰りちゃぎのに相談すると、
「もう1軒行ってみたらええやん」
と、こともなげに言うので、なるほどそうか!とばかり、太郎は3軒目の歯医者を予約したのであった。

 ソラーニは若く美しい女医であったが、3軒目のマルタ先生も女性である。いかにもベテランです、という雰囲気を漂わせており、見るからに聡明そうだ。ちなみにここも検診だけなら無料だという。
果たしてマルタの診断結果は虫歯が4本であった。歯石掃除を含めた治療費総額は480レアルとのことである。

 大勢は決まった。もはや1軒目の歯医者は選択肢から外してもいいだろう。検診に50レアルも徴収しといて、虫歯を2本しか発見できず、さらにどんな高級素材を使用するのかは知らぬが、料金もべらぼうである。町で1番の歯医者という触れ込みであったが、とんだ期待外れであった。

 それにしても歯医者によってこんなにも診断がちがうとは。太郎は驚きを禁じ得ず、他の歯科医院では虫歯5本という結果だったことをマルタに告げると、彼女は「知っている」と大きく頷き、たしかに虫歯ともいえぬような小さな点があるが、ブラッシングで対処できる程度のものなので、すぐに治療する必要はない、と自信満々に言い切ったのであった。

 歯医者も商売である。少しでも治療本数を増やし、その分の利益を得ようとするのが人情であるはずなのに、マルタはそうしようとはしなかった。信頼に足る人物である。そう判断した太郎はこの先生に治療してもらうことに決め、早速日程の調整に入ったのであった。

 2020年11月19日現在、太郎はすべての歯の治療を終え、残すところ歯石掃除だけとなっている。新型コロナウイルスによるクアレンテーナが始まって以来、ヒマな時間を持て余していたかれは、自らの日常生活を題材にした動画をYouTubeに投稿するようになったが、この歯医者の件についても何本かアップされているので、興味のある方は『ブラジル露天商しらすたろう』チャンネルを是非覗いてみてほしい。

 余談だが、太郎の付き添いにすぎなかったちゃぎのが、気まぐれにマルタの歯科検診を受けてみたところ、予想以上の虫歯が発見され、その治療費は太郎の数倍の規模だという…。

 2020年も終盤に差しかかってきたが、しらす家の試練はまだまだ続きそうなのであった。


月刊ピンドラーマ2020年12月号
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