コミッション作品#5 君ゆく途はポリへドロン
「生駒様ぁ、なんとかなりませんかぁ~?」
生駒は今、幾人かの歳若い侍女たちに取り囲まれていた。一様に困り果てた様子であるが、生駒自身、彼女達が求めた内容には困惑することしきりである。
ことの経緯はこうだ。詩白に巫覡へ何かしらの貢物をする習俗は無いのであるが、巫覡という「お偉いひと」からの特別な引き立てをされたがる者が「個人的な贈り物」を寄越すことがしばしば有った。
本来このような行為は許されている物では無いし、そもそもあくまで人ならざるものと人とを繋ぐ役回りである巫覡に現世利益を願ったところで無意味なのであるが、どうも侍女頭が積極的に仲介を買って出てしまうこと、先代の巫覡が「物わかりの良い」性格だったために悪習として定着しきってしまったきらいがある。
ともあれ、現巫覡であるライからしたら、贅沢な素材の織物であるとか豪奢な拵えの刀であるとかは「欲しくも無いが、とりあえずやって来る品物たち」に過ぎない。元より派手な感情表現をする性質でも無いので、それらの貢物の数々を広げて見せられたところで「うん」の一言でも有れば良い方で、それきり黙りこくるか、ふらりと立ち上がってどこぞへ……大抵は戸外にカムイの気配を感知して語り合いに向かうかが関の山であった。これが便宜を図って貰いたがる者たち(そして、仲介にあたって袖の下をたっぷりいただいている侍女頭)には面白くない。
もう少し色好い反応をして貰わなければ困る。そして占卜の真似事でもし、愛想の一つも言えばそれで話は済むのに、という言い分だそうだ。
しかしライという個人は恫喝もおだても効かず、それとなく「代替わりを試みる」事も失敗に終わったためか今回は攻め手を変えてきた。
最近になって新しく巫覡目付けに就いた生駒には比較的心を開いている様子と知るや、生駒と近い年頃の侍女をライの目につく場所で働かせだし、侍女たちには隙あらばライを何かと構い付けるように言い含めたらしい。
結果、彼女達はその言いつけを忠実に守り、ライの姿を見ればきゃあきゃあと後を追うようになっていた。ライ自身はと言えば辟易として彼女らになるべく鉢合わせせぬようこそこそと歩き回るようになってしまった。その姿は野良猫が構いたがる幼子から逃げ回る様に似ている。と生駒は思う。
ライは決して、歳若い娘たちにちやほやされて脂下がるような性質でも無いはずなのだが、生駒自身よりよほど付き合いが長くても侍女頭の目と頭とはライのあるがままを捉えることが出来ないようであった。
そして、事の原因である若い侍女たち自身には悪意が無いのが余計に頭が痛い、と生駒はため息をつく。なんと彼女たちの方から、ライのそっけない態度について「どうにかしてくれ」と生駒へ泣きついて来たのだ。これには生駒もほとほと参ってしまった。
こちらが進言してどうにかなる物では無いのだ、と懇切丁寧に説明してみたのだが、あまり通じたようには思えない。どうも、お互いに発言の意味するものを迂回して受け取ってしまうようなのだ。
生駒はこの役目に就くまで蕨手という自警組織に身を置いて主に身体を動かしていたもので、どうにも腹芸の類に疎い。対して巫覡のような貴人の屋敷の、それも直接目に触れる場所に出て働けるのは侍女といえど相応以上に血筋の良い婦女なのだ。彼女達の実家も概ね文官の家系である。生まれ育った中で身を置く気風がだいぶん異なるせいか、双方ともに相手の言い回しについて「言外のほのめかしが有るのでは」と構えてしまいがちなのであった。
「私たちも困ってるんですよお、ライさまからのご寵愛が無いことで侍女頭さまが……ね?」
ところが生駒には「ね?」に続く伏せられた意図が読み切れない。ここまでのやり取りで「ご寵愛」=「特別なお気に入り」の意という所まではなんとか類推できたが、「それ」が無いとどうなるというのか?
「──ライさまは他人に分け隔てなく接するきちんとしたお方ですよ。そう心配する必要は」
「ん~~っと、そうじゃなくてね?」
「要するにあたし達がこのままだと侍女頭様に叱られるんですぅ!」
しびれを切らしたように侍女の一人が声を張った。ああ、彼女達はライの振る舞いを指し示しつつ、その実は侍女頭の動静に気を揉んでいるのか。と、生駒はようやく確証が取れた。
「侍女頭どのってそんなに怖い方なんですか」
「怖いですよぉ~!」
「そりゃ蕨手あがりで武張った所作まる出しのままお屋敷を歩ける生駒様なら平気かもしれませんけどぉ、私たち、織機の杼より重い物を持った事無いんですよ」
確かに、彼女たちと自分は身振る舞いがちょっと違うなというのは生駒自身も同意するところだ。実際、彼女達の身振り手振りに合わせて白粉や焚きしめた香の良いにおいがするし、髪の毛に美しい細工の櫛やかんざしを挿している者も幾人か居る。
「──ともかく! せめて一つくらいは手元に収めていただけませんと私達の立場が無いんです!」
そう言って生駒の両手に小袋をぎゅっと握らせて、侍女たちは三々と持ち場へ戻って行った。小袋の中身を改めれば、それは子どもの掌にも収まりそうなちいさな二枚貝だった。表面がすべすべになるまで磨いてあり、墨で簡素な文様が描かれている。玩具の類であろうか? 山あいの集落にあっては確かに珍しい拵え物だが、賄賂になるほど高価な貝殻というのも聞いた事が無い。
ライ自身が受け取るかどうかまでは責任を持てないが、彼女らに代わって見せに行くくらいならしてもいいかな、と生駒が思えたのは、ひとえに貝殻の細工物? の全体的な細工の丁寧さと素朴な筆致になんとも心和むものを感じてしまったからであった。
「よっ」
侍女たちに掴まっていた衣装部屋を後にし、ライの居室へと向かう道すがら。ひょっこりと現れたのは帳であった。蕨手隊の長、つまりは生駒の前職の上司…の上司のそのまた上司くらいの「偉い人」である。それと共にライとは幼馴染の間柄なので何かと屋敷にも足を向けて居た。そういう意味合いではさほど珍しいお客という訳では無い。が、先ほどのちょっとした騒動の直後とあって、あまりに間が良い登場に思え、生駒はやや身構える。
「──あっははは! いや、悪い。しかし災難だったねおまえも」
巫覡の居室は母屋の最も奥まった位置であるので、それなりの距離を歩く必要がある。その間まったくの無言というのもおかしな話なので、世間話の形を取って、帳には先ほどまでの出来事のあらましを説明してしまっていた。
「それで、生駒はその進言をライに伝えるつもりかい?」
生駒は首を横に振る。
「何故? あいつの事だ、おまえの諫言なら少しは聞く耳を持つかもしれんが」
帳の言葉に、生駒も頷く。
「ライさまには信頼いただいてます」
続きを無言で促す帳は笑みを保ったままだが、生駒は「あ、試されているな」と察する。蕨手として彼の下で働いていた頃に培った勘が告げていた。とはいえ、どういう訳か答えを心からの物から変える気になれなかった。
「──だからこそ、便利使いして信頼を曇らせてはいけないと感じるのです」
「わかってるじゃ無いか」
生駒の答えに、帳は今度こそ相好を崩す。
「何ぞ余計な張り切り方をしているなら、よくよく因果を含めないといかんと思っていたが、必要無いようで結構結構」
どうやら自分は難を逃れたらしい。と、生駒は密かに胸をなでおろした。この蕨手隊の長のいうところの「お話し合い」の恐ろしさと来たら、具体的な内容を思い返すのもちょっと憚られるところだ。
「と、ところでこの貝殻をお渡しするのもやっぱり良くないでしょうか」
「いやまあ、さっき見た分じゃ素性の怪しい品でも無いし、見せるぐらいは良いんじゃあ無いか」
いざ問いかけてから先ほどまでの帳の問答に気圧されて、聞くつもりの無いことまでうっかり口を滑らせてしまった。と、少しだけしょんぼりしている生駒。
彼女の一連の心の動きが手に取るように見えた帳は、少し脅し過ぎたかなと思う一方でその青臭い真っ直ぐさが決して嫌いでは無いのであった。
「なんにせよ、そこから先はライ自身が決める領分だろうしな」
巫覡の居室はすぐそこだ。
意外なことに、ライは貝殻を手に取った。しげしげと見つめてから傍らの文机にそっと置く。
生駒が巫覡のための水をあたらしい物に汲み直している少しの間に、帳は立ち去ったという。どうも、本命の用事は別に有るようだった。
杯に水を注いでから、生駒も控の間に辞そうとしたが、ライに呼びとめられる。
「カムイが、まだ居て欲しいって」
「カムイ……ですか?」
カムイとは自然物に宿る精霊の様なものと認識していた生駒は首をかしげる。訝しがる彼女を他所に、ライは静かに頷くと、貝殻を手に取ってぴったりと合さっていた二枚貝をぱかりと開いて見せた。
「──わ」
「化粧紅。よほどの上手が大事に作ったんだろうね」
貝殻の内側は玉虫色に塗られている。昼下がりの日光が御簾越しに差し込んだうすぼんやりとした光を弾いて艶めいている。
「みどり色してますよね……」
「うん……」
おろし立ての、というか使う機会が一向に訪れないまま文箱に転がしてあった小筆をライがおもむろに手に取り、杯の水でほんの少し湿らせてから玉虫色の表面を撫でてみる。果たして筆の跡からはっとする程鮮やかな紅色が顔を出し、筆の穂先にも同じ紅色が含まれていた。
質の良い紅を分厚く塗り込めると表面が玉虫色に輝くのだ。
ライ自身、道具に宿ったカムイが”紅です”というような気配を発したのでああそうなのか、と思ったまでで、決して化粧品の類に詳しい訳では無い。という訳で生駒ともども子どものように歓声を上げて、目の前の不思議に見入ったのであった。
そして、すごいねえ、不思議だねえと、ひとしきりはしゃいでから、ライは手元の小筆と貝紅を交互に見てから、紅を含んだ小筆を生駒に渡す。
「使ってみて、って」
「へ、私がですか? カムイがそう仰ったのですか?」
実際の巫覡とカムイの交流はぼんやりとした感情のようなものを介するのでライが感知したのも貝紅から漂う”つかってもらえたら嬉しいな”というものである。が、大筋では合ってるだろうと思ったのでライは無言で頷いた。
小筆を受け取った生駒はと言えば、先ほど襲撃……もとい頼みごとに現れた侍女たちの口元を必死に思い出していた。
「(ええと確か、唇の内側にじわっと滲ませるように……)」
記憶を頼りに筆を運ぶ。そういえば、この紅ってどのくらい色づくんだろう? とか、筆目が出てやしないだろうか? と慣れない作業に肝が潰れそうな思いで有ったが、意外なことにライがなかなかに的確な助言を折に触れて与えて来たため苦戦しつつもどうにか形になってくれた……ようだ。鏡が無いので自分では確かめられないのがやや不安なところだが、ライが満足そうに頷いている所を見るに心配しないで良さそうだ、と生駒は思う。良きにつけ悪しきにつけ、嘘がつけない人物なのだ。
「よく似合ってる」
「あ、ありがとうございます……?」
ライが貝紅を元の通りに閉じ、丁寧に小袋に収めると、生駒に差し出して来た。
「あげる」
──それからしばらくの後、里の外部との不正な貿易を行っていたかどで何名かの者が処分されたという噂が生駒の耳にも届いて来た。詩白の外部の都市との交易は珍しくこそすれ皆無では無いのだが、品目はごく限られている。今回は禁制品の横流しや不正な蓄財が罪に問われた形だ。主犯格の捕縛までは叶わなかったようだが、これで多少は動きが鈍るだろうさ、少なくとも巫覡に密輸品を貢ぐような不届きものは当分現れんだろう、と生駒へ呵々と笑うのは帳である。
仕えている主人にも関わる事柄だから、というかどでわざわざ生駒の元まで訪ねて経緯を語ってくれたのだ。内偵していた当人が直々に訪れたのは内々に処分した手前あまり大っぴらに語れない事と、もともと面識が有る同士で憚る事情が特に無いからである。
表向きも、蕨手の長が元部下への激励に来たことになっている。帳の元々が人好きのする人物で通っていることと、生駒の仕事ぶりの実直さも知られるところで有ったこと、何より当人たちが親子ほどに歳が離れているため、この名目を疑う──無論、巫覡絡みの密談の可能性について、である──者は居なかった。
と、言う訳で午後の光が差し込む明かり取りの窓際で帳と生駒は差し向かいに、ことの真相を茶菓子代わりに語り合っている。
「この間、お屋敷までやって来たのは貢物を調べに来ていたのですね」
「ああ、ここ暫くの賄賂は巫覡様に申し訳程度に眺めさせて後は倉に仕舞い込まれるっきりだろ? ライの許しさえ得ちまえば楽な仕事だったな。有るわ有るわの禁輸品の山脈よ」
生駒は大きな溜息をつく。
「そんな代物をライ様に贈ったって喜ばれるはずが無いのに……」
「まったくだな。嘆かわしいことだ」
帳も、笑みを消して同意する。この方が真剣な表情をあらわにするのも珍しい、と生駒は知っている。大事なご友人なのだなと思った。
「……そういや、今日は紅を指してないんだな」
ぱっと表情を戻した帳がそう指摘して来た。確かに、生駒は先日賜ってから毎日のように使っていた貝紅を今日は使わずにいた。
「いえ、あの紅も元を正せばライ様への貢物でしたので……」
「化粧紅は安かないが、禁制品という訳でも無い。折角貰ったんだから使っちまいなよ」
生駒もその言葉に頷くが、胸のつかえはそれでも無くなっていないのを自覚している。同じ年頃の少女たちを思い返す。屋敷で侍女として働く彼女たちも、今ではライを追い回すことは無くなっていた。あくまで上役から強いられた行動であったので、圧力さえ取り除けば後はあっさりとした物だった。今ではすれ違えば挨拶を交わすような間柄である。時間に余裕があればちょっとした世間話くらいも、する。
「──その、あの紅、ちゃんと似合ってましたか?」
生駒が出し抜けに問いかけたのは、帳がちょうど椀を煽っていた折であった。ぶふ、と噴き出しかけた帳はげほげほと噎せている。
「やっぱり、そんなに滑稽でしたか!?」
「いや、待て、ちょっと待て……どちらかと言うと、今の問いかけが可笑しい」
下を向いたままの帳が、先ほどの生駒にも負けないような大きな嘆息をした。
「おまえね、そういう手管は落としたい奴相手にでも使いなさい」
「居ません! そんな人! それどころじゃ無いですもん!!」
「人生は短いぞー。どうせライにかかりっきりな内は暇な日は来ないだろうしな」
何やら恐ろしい発言を聞いてしまった気がする。と戦慄する生駒を余所に、あいつ、あの通り何をしでかすかわからん所が有るからなあ~と帳は暢気な調子で続けている。
「私、ずっとライさまのお傍に仕えても、良いんでしょうか」
「生駒がそうしたいなら。なんにせよ、そこから先はライ自身が決める領分だろうしな」
つい最近にも帳から同じ事を言われたように思う。それがいつかまでは生駒は思い出せなかったが、それでも今と同じようにすとんと「そうだな」と腹に落ちたのは覚えている。
「紅を指すも指さないも、ライの傍仕えをしたいもしたくないも、心の求めるままに決めたら良いさ。それが人間ってものなんだから。──それで、これはあくまで俺の考えなんだが」
ここまで話した帳は、ちょっと説教臭いか? とやや逡巡するが、言い掛けた手前やめる訳にもいくまい、と語り切るころに決めた。
「そういう人間の真っ直ぐさを近くで見せてやれるのは、ライのような奴にはとても大事なことだと思う」
帳の視線の先、背筋をぴんと伸ばした生駒が大きく頷いて見せた。
謝辞
当作品はめえ様より頂きました【依頼者様オリジナル作品「神詩」シリーズの二次創作】というリクエストに基づき執筆したものとなります。
ご依頼ありがとうございました。