小ネタ:えびフィレオとベビーシューズ
えびフィレオ、おいしいですよね。あのバンズにはさまってる揚げ物のね、衣がバリッとしてて良いんだ。
それにつけても、あの揚げ物を「エビ食べてるな~」という気分で食す一方で、あそこにエビそのものの姿って見えないんですよね。もちろん、フライの中にはきちんとエビの身と思しきゴロゴロ肉があるし、香りもエビだし、味もきちんとエビなので疑うものではないのですが。
食味を構成する諸要素はテクスチャー、温度、色・光沢、形状、音の5種類です。しかしえびフィレオの例の揚げ物はそのどれもがエビそのものと紐づいていません(細かく切って混ぜて丸く成形したフライだから!)。にも関わらず「エビ食べてるな」と思えるのはなぜか。…それは「えびフィレオ」って名前だからなんですよ!
今回はこのことの是非について問うものではなくて(個人的に「情報を食べている」という側面はそう悪いものでもないと思っています。例えば「ピーマンは毒じゃない」というのも情報の一端であり、それを信じるからこそ青椒肉絲とかつくね乗せピーマンを喜んで食べられるという側面もあるからです)この情報を開示するという側面に着目したい。
この話を「情報開示の手順によってある感情を惹起させる」という所まで分解すると、文章執筆についても応用が効く話ではあるまいか。例えば私は、この事例からある小説を連想しました。
「売ります。赤ん坊の靴。未使用」という和訳で知られている、わずか6単語で構成された小説です。これ、原文だと“For sale: baby shoes, never worn”なんですよね。和訳がやや日本語としてぎこちないのは語順を守っているからのようです。確かにこれを「赤ん坊の靴売ります。未使用」「未使用の赤ん坊の靴を売ります」にすると読後感がかなり変わってしまう。直截に言ってしまえば主題がぼやけてしまう。
「赤ん坊の靴」と「未使用」は語順を入れ替えると意味が通りづらく、なおかつ含意について素直に読み取って貰うためにはフレーズ同士を隣接させる必要があり、「売ります(For sale:)」はシチュエーション設定なので冒頭に持ってくるのが一番素直。
文法の違いを踏まえても、やはりこの順番が最大威力を発揮するようなのです。
これをもう少し詰めていくと、最低限の明文化によってある程度意図した読後感を覚えてもらうテクニックに繋げられそうなんですが、ここら辺はまだ勉強中の分野なのではっきりしたことは何も言えない!
という所で今回はこの辺りで失礼します。