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人のことを認められるようになっていた話。

以前は自分の中でこの考えこそが正しいと
思っていたことも、環境によってより良い方向へ
変化していくことに、最近気がついた。

私はボランティアを始めて3年、後輩もできて
「一人一人のことを細かいところまでみて
丁寧に伝えてくれる温かさ」を褒めてもらう
ことがよくある。

入ったばかりの頃は、他の人の意見は全て
なるほど!たしかに!と思えて受け入れてばかり
だったけれど、気がついたら相手の意見も
受け入れた上で、自分の意見も伝えることが
できるようになっていたな、と最近改めて実感した。

そして今年の8月上旬、私は
他人に対して「かわいそう」という感情から、
「この人はそう言う人なんだな」と思えるように
なっていることに気づいた。

「かわいそう」という上から目線な感情が
生まれるのは、傷つくことを言われたときや
いや、それ絶対違うだろって思うようなことで
自分が嫌な気持ちになったとき。

自分は、心の中で「あぁ、この人はこうやって
この先も生きていくんだ。かわいそうだな。
私はこんな風にはならないように生きよう。」
と思い、自分を優位に立たせることで
この気持ちをやり過ごしていた。

高校生の頃の私はこの自分の処世術に
ひそかに絶大な自信を持っていて、
〈でも私はそんなイメージないから、
みんなにもこの処世術を教えてあげたいけど
良くないかな…〉とか思っていた。
そして、高校卒業間近になると、
もう会うこともそんなないだろうしな!と思い
仲の良い友だちグループでこの処世術を明かした。

しかも、思い返せば、たぶん文面から自信が
滲み出ていたと思う。笑
めっちゃいいからぜひこれからおすすめするよ‼︎
みたいなテンションの。笑
痛いなぁ、といまなら思う。

けど、気づけばこんな風に考えることが
一切なくなっていた。
こんな処世術、微塵も頭の中にのこっていなかった。

きっと、もし嫌なことがあったとしても
いまの私なら一度受け止めた上で、
「こうした方がいいよ」と相手にも
伝えることができると思う。

独りでに、自分を守ろうと突き放すんじゃなくて
一緒に生きていこうと手を取り合うことが
できると思う。

お互いのより良い未来に向かって、
尽くそうと動くことができると思う。

いま思えば、人を心の中で見下すという方法で
自分を守ることこそが最高の方法だと思っていた
私こそがかわいそうだなという思いと、
でも心からそれが正しいと信じるしか
道がなかったんだよなという思いと、
正しい道へ更生することができて本当によかった…
あんな私を救い出してくれたたくさんの人へ、
ありがとうの気持ち。

うみくんは、ファンのどんな声も大切にしていて
そんなところも、尊敬する。
たまの厳しい意見やめっちゃ怒られて
うるさいって思ったって、負けず嫌いが働いて
その分頑張ろうと、受けとめて力にできることは
簡単に、誰にでもできることじゃない。

私も、これからも人の良いところを受けとめて
伝えて、その人らしく輝ける方法を
一緒に模索していけるような、
そんな人でありたい。


毎日note日記*25日目
〈1211文字〉

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