日常を非日常に。
日常に足りなくて、非日常にあるものはワクワクだ。
私のいう真のワクワクとは、細胞が沸き立つ感じ。
エモい夕日を見たとき、心が揺さぶられた映画のエンドロール、ここではない遠い国の景色。
日常はありふれた退屈があり、非日常は突き動かされるものがある。
生きていたら、何度かは耳にする、「今日を人生最後の1日だと思って生きろ。」という文。
もしも今日が人生最後の1日なら、学校なんていかないよ。勉強なんてしないし、ピアノの練習なんて絶対にしない。
と小学生の頃から思っていた。
ある日、ふと母親に聞いてみると、そういうことじゃなくて「いまを一生懸命に生きることなんじゃない?」と言われて、たしかにと妙に腑に落ちた。
現実と理想は一生噛み合わないのに、理想に従って生きろと言われるのが、どうしろっていうんだって気持ちにいつもさせられていた。
じゃあ
どうしたら細胞が沸き立つ日々を過ごせるのか。
日本にいても、今日も昨日も同じように、リモート授業を受けて、就活をする一日でも、いまを楽しめるのか。
まず、思いつくのは小物やファッションだろうな。
私は小中高大とおしゃれが好きで、同級生からも普段はパッとしないのに、「意外とおしゃれだね」と言われる感じを誇りに生きていた。
だけど気づくと恋愛を諦めぎみのいまの私は、おしゃれからかなり遠ざかっていて、持ち物も、服装も、コスパ重視になっている。
ふと彼氏がいたら、彼氏が自分のセンスを認めてくれたり、彼氏の好みに合わせられたらもっと楽に生きれるだろうな、と思うこともある。
私は気にしいで、周りの人の目を気にするから、たぶん人より過剰に気にしているところもあるはずだ。
彼氏いない歴=年齢になってしまった大学4回生の私は、こじらせ、道を迷い、好きな異性のタイプを自分に当てはめたりもした。
そしたら私みたいな好みの人に、ヒットするんじゃないかと思って。
だからシンプルなネイビーのスエットにジーンズにスニーカーとか、これいいなって思っても、いや、でもこんな感じの男子は一目でビビッとは来ないよなって却下したり。
でも客観的にみて、自分に似合ってないし、冷静に考えて、こんな女子かわいくないよなぁと思う。
自分が心が躍るのは、洋館に住むお嬢さまみたいな格好なんだよな、想像しても、いままでの経験を思い返しても。
自分は心で動かずに、変なところで頭で考えて凝り固まってしまうところがあるんだよな。
それでいて、頑固だからガチガチに一人で固まってしまう。
もう一度。
自分の心のままに、自分の心本位で生きてみようかな。
そしたら、なにか感度が磨かれて気づくこともあるのかもしれない。
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