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月見で一杯

我が家では今、空前の花札ブームが訪れている。

花札とは、日本の美しい花鳥風月が描かれた札を使って遊ぶ、昔ながらのカードゲームである。
札は十二月の暦で分けられ、ひと月ごとにモチーフが決まっている。
それらは桜や藤、松や月といった日本の風情溢れる絵柄となっている。趣深し。

花札の中に、役を作って得点を競う「こいこい」という遊び方があるのだが、これが面白い。

その役の中に「月見で一杯」という役がある。
文字通り、月の札と酒杯の札を揃えると出来上がるわけなのだが、月見で一杯というものを一度やってみたいと考えていた。
月を見ながら杯で酒を飲む.、さぞ優雅なのだろう。時間に追われる現代に、ただただ月を眺めるという心の余裕。趣深し。

さて時は令和五年九月二十九日。
本日は中秋の名月である。

「月見で一杯をやろうじゃないか」
そう妻を誘い出し、我らは夜の街へ繰り出した。

出来れば杯で日本酒などを飲み交わしたかったが、割れると怖いので途中のマクドナルドで月見パイとマックシェイクを買った。
外に出ると涼しい風と虫の音が心地よい。肝心の月は煌々と輝いている。

役者は揃った。

さて、月見をするにしても立ち見では疲れてしまう。何より心の余裕をもとめている我らは座ってゆっくりと月見を楽しみたい、どこか座れるところはないか。
川沿いの広場にベンチがあったはず、とりあえずそこへ向かうことにした。

川沿いの広場、川沿いの広場…。川沿いの広場が見当たらない。
おかしいな夜道だから感覚が違うのかと思ったがやはり川沿いの広場は存在していない。
あとで分かったことだが、川沿いの広場は、川に沿って一本向こう側の道に存在していた。いくら探してもないわけだ。

我らは座れる場所を求めていた。
右手に月見パイ、左手にマックシェイクを持って座れる場所を探した。

公園は却下となった。
夜の公園というのはなんとなく怖い。
昼間はあんなに穏やかで賑やかな場所なのに、夜になると不気味だ。
昼間とのギャップがそう感じさせるんだろうか、人がいるはずの場所に誰もいないということが妙な緊張感を生む。しかしそこには遊具があるので人の気配だけは感じるのである。
賑やかであるはずなのにそうでないこと、誰もいないはずなのに人の気配がすることで、誰かに見られているような居心地の悪さを覚える。

我らは安寧の地を求めていた。
もう何処だっていいので座りたかった。
川沿いを辿ってみたが、ベンチや椅子の類は一切なかった。
あるのは夏の間に伸びた、腰の高さほどの草だけ。花見に来た時はここに座っていたのに、草木の生命力を感じる。

そうこうしているうちに、だんだんと疲れてきて、我々の足は次第に家に向かっていた。
ゆっくり月見をする予定だったはずが、座るところを探して彷徨う会になってしまった。

それでも歩きながら見た月は、とても美しかった。
低く大きな満月、黄色く輝く部分とクレーターの模様がしっかりと見えた。
時折薄雲を纏い、明るい月の周りにぼんやりと膜ができる。雲をまとっていない時よりも光の大きさが3倍くらいになり、その輪郭は空に溶けていく。
こんな表情の月を見られるのは、1年でもこの時期だけ、だから昔の人達は花見と同様に、今この時期だけの特別な時間をじっくりと味わったのだろう。

縁側のある家を建てて、ゆっくりと眺めたいね。なんて将来のことを話しながら、我らは家に帰った。
いつもより近い、大きな月に見守らながら。
お風呂に入って疲れた体で食べる月見パイが美味しかった。

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