むしろウツなので結婚!?!
今日はとある本のご紹介です。
原作者の城伊さんとはちょっとした知り合いなのですが、この物語にある事態に彼女が体験遭遇していることを、知っておりました。
ウツというと、私にとっても縁遠いものではありませんでした。母親がウツ病となり、必死に支える父や、すさまじい行動力で対応する妹の陰で、オロオロしながら母の様子を見守っていました。
実際、母が明け方に家を抜け出して、高いところから地上を見ているという情景を父は何度も目撃しては苦悩していましたし、せん妄状態の母から明け方に電話をもらったことも何度かありました。
また、夫も職場の配置換えで軽ウツ状態に陥ったことがあります。あれよあれよと10キロも体重が減り、ネクタイをはずした首元は老人のようにしなびた状態になっていました。
それらの経験があったため、城伊さんが対面した出来事は少しなりとも理解できました。
もちろん、彼女が仕事をしながら対応しているのも少しだけ知っているのですが、仕事場の反応がひどく冷たいものであることも見ていました。
なぜなら、この本のタイトルでわかるとおり、この二人はまだ結婚していなかったからです。
「結婚」という制度。これ一つで行政やたぶん会社自体も、まったく対応が変わってきます。親が夫が子どもが具合悪いので休みます、その一言がスムーズに言えないのです。
タイトルがネタバレをしているので、とはいえ小さい声で・・。
ウツになったパートナーのために、彼女は「むしろ結婚」を選びます。
この本は、ウツになったパートナーに寄り添うための心構えや、実際のノウハウを解説付きで描いたもので、一般的なウツの闘病記とは違ったものです。このノウハウ的な表現なども斬新なのですが、私自身いちばん読んで感じてもらいたいのは「ウツになったパートナーとむしろ結婚」した彼女の揺るぎない愛と、壮絶な覚悟なのです。
ぶっちゃけた話、ウツになった本人が同棲していた相手を実家に帰したという話も聞きますし、まだ実際にそういった人には会っていないですが、相手がウツになったから別れたという人もいるのではないかと思います。
これから一緒に過ごそうという人が得たいの知れない「ウツ病」にかかってしまうと、並大抵の努力ではともに生活を続けることはできないと思いますし不安でいっぱいになるでしょう。私の場合は、実の母や夫が相手でしたので、自分もできる限りの支援をしました。闘病記を見ても、大抵が結婚後の話です。
私たちのような実の母、結婚後のパートナーが発症した場合は、もちろんかけがえのない人ですから、必死に支援します。その分、感情的になりすぎて、あれこれ記録も残っていません。その点、城伊さんは悲しみや混乱しながらも、よりよい道を探し、相手の気持ちに寄り添いながら、いろいろ試行錯誤して支援を続けていくのです。
このお話を読むにあたって、何よりも感じてほしいのは
「むしろ、彼女の大きな愛と覚悟!」なのです。
そして、ウツ病の時におこる出来事への解説、対応の仕方もわかりやすく記されています。
「変化を受け入れる」
私自身のウツ病への私見ですが、この病気は一度かかると、炎がめらめらっと表面をなでただけで火傷をしてしまうのと似たところがあると思うのです。炎の一なめでその物質はどんなに少しでも酸化して変化してしまいます。
ひどい言い方ですが、一度痛んだ神経は完全に元通りになるには時間がかかります。もう、それなら変化を変化として受け入れ、元通りを目標とせずに暮らしていくしかないのかなと思うのです。
母は双極性のウツでしたが、今は不眠症だけが残っています。時折、頭がザワザワして不安だという声も聞くことがありますが、寝る前に睡眠薬は欠かせません。あまりに眠れない日が続くという聞いた日には、私はあえて脳天気に「だったらいっそ追加の睡眠薬はやめたら?飲んでも寝れないなら、飲まなかったから寝れないって思った方が気楽じゃない?」と言っています。
まったく気休め助言なのですが、「睡眠薬飲んだのにねれない!」と思い込むほうが辛いようなのです。もしくは「いっそ起きちゃえば」とも言っています。
最近は母は、眠れない日は深夜テレビを見て過ごしているようです。不眠を受け入れる、それしかないのではないでしょうか。
ウツ病は声にしていない人も含め、身近に多く苦しんでいる人がいると思います。
これからは、社会的にウツ病に対しての理解がすすみ、本人や支える人を苦しめる事のない世の中になっていってほしいと思います。
そして、もし大切な人がウツ病になってしまったら、この本を読んで考えてほしいと思います。もちろん、支える道に向かうのか逃げ出してしまうのか、それはその人の自由です。
最後に一つだけ、私が本当に辛かった経験を・・。
夫が職場でウツ病になりかけたのは、当時の上司が原因でした。某公務員なのですが、その中でも「君も~にならないか」の営業的な仕事をしている時でした。人集めの営業ですから、その成果がはっきりとグラフになって現れます。ただ、夫の本職は電気機器の整備でした。そんな人が突然人集めの営業に回され、それこそ昼食も取らずに走り回りつづけたのです。
成果が出なかった彼を「このままホームから落ちちゃおうか」などと考えるまで追い詰めた当時の上司を、私は本当に憎んでいます。同様に、仕事のできないおっさん扱いしていじめた女性事務員も絶対許せません。
私も幾たびも職場を変えていますが、これからも気をつけていこうと思うことは、仕事ができないくらいの事で追い詰めることはやめようと言う事です。
同僚で一生懸命やっているのに、うまくいかない、空回りする人。そんな人へは、たとえ周囲の皆が辛くあたったりしても、一緒になって当たり散らすことはやめよう、そう思うのです。皆生きていくには苦しい時代で、仕事も辛い事が多いと思います。その中でも、ふらふらとよろめいている人への思いやりを、皆さんほんの少しでいいので持ってみてください。