ニュージーランド パイロットとしてのキャリアアップ 10
今回は、私のパイロットキャリアについて書きたい。特に2015年以降の話で私自身、大きなターニングポイントだったと思うからだ。
ニュージーランドのコロナロックダウンが解けてようやく国内移動などが自由になり、私の方は運がよく2020年7月二週目から再度ライン復帰トレーニングが始まり、8月終わりにはトレーニングが終わったところだったのだ。ニュージー国内線の復旧率はコロナ前の70%まで回復させたそうだが、会社の予想を大きく裏切り、乗客率は非常に高く、私の担当した便のほぼ全ては満席だった。私もこのままいけばコロナからの復帰は意外と早いんじゃあないかと思っているのだが、再度、感染が確認された場合は、再度ロックダウンしてしまう。NZ政府のコロナ対策は、非常に早く、感染が確認されたその日のうちにロックダウンしてしまう。なんというか、今の状況は、綱渡りしながら経済を回している感じである。再度いつロックダウンしてしまうか分からない。そうなったときは、会社の方もさらに人員削減なんてことになってしまう。早く世界からコロナが無くなることを祈るしかない。
さて、今回のコロナのおかげで、ニュージーランド航空からも200人近いパイロットが一時解雇されてしまった。前回で説明したseniority入社順番で解雇が決まってしまった。これは会社とパイロット組合でコロナ以前から既に決まっていた条件、つまり入社時のコントラクトだったのだ。入社順位の若い連中が解雇されてしまった。
ニュージーランド航空では、国際線をするジェットフリートと、国内線を行うターボプロップフリートではseniority listが別々だ。なので今回は、それぞれ二つのseniority listから入社順位の低いパイロット達が解雇されてしまう事になってしまったのだ。コロナ封鎖のため国際線がほとんど運航できないため、解雇対象者の割合はほとんどはジェットフリートからで、国内線を扱うターボプロップ機のパイロットは少なかった。
ところが、ここで大きな落とし穴があったのだ。この二つに分かれたseniority listのため、とても複雑で理解しがたい解雇になったのだ。それはターボプロップのパイロット達がニュージーランド航空内でジェットパイロットにキャリアアップしていく方法に問題があった。それは、ターボプロップのseniority list 入社順位の高い方からジェットフリートに優先して入っていくので、ターボプロップでトップのseniorityだった人でもジェットパイロットになったとたん、ジェットのseniorityでは再度ボトムからやり直しになってしまうのだ。今回はそういった経験豊富なパイロットが沢山いたのだ。ターボプロップで10年もキャプテンをしていたパイロットが去年、ジェットフリートのFOやSOになったのだが、ターボプロップのseniorityから外れ、ジェットのseniority listに入ってしまったので、Jet seniority listでは一年未満のパイロットになってしまい、今回のコロナ解雇に該当してしまった。実は私もその一人なのだ。だが、私は幸いなことに、私のジェットのトレーニングが始まる前にコロナ騒ぎになったので、私のseniorityはジェットにはなっておらず、ターボプロップのseniorityに残ったままだったのだ。これのおかげで解雇の対象にはならなかったのだ。
私は生まれてから今まで、自分の事を運がない男だと思っていたのだが、100年に一度あるかないかの世界恐慌でパイロットとして生き残れたのだ。これはもう奇跡だと思う。
2015年以降、私はジェットパイロットになりたくて、沢山の試練や挑戦をしてきた、そして、ひとつづつ解決してきたのだが、いざ、ジェットに乗ろうとすると、いつも何か問題が発生し、うまくいかなかった。今までの20年のパイロットキャリアではありえないことだった。今までのキャリアであれば、努力すれば必ず活路が見つかって、それをモットーに信じてやってきたのだが、ここ最近5年間位は目標に達することができなかったのだ。あがいても、あがいても手に届かないもどかしさ、そのため、悶々としていて、私の中では「運のない男だ!」なんて思っていた。(昔書いたブログに今までのキャリアアップの経緯を載せているので是非読んでください)
ところが今回の様なコロナがあっても、こうやって今パイロットとして飛べることは、心の底から「運のいい男だ!」と感じるのだ。
いや、私の本当の幸運は、私の周りには、私を理解してくれる友達が沢山いて、助けてくれたことだと思うのだ。決して私の力や努力ではないと思う。いや、思い返せば今までのキャリアの中で常に周りが助けてくれたからここまできたんじゃないかと思う。私も努力をしたつもりだが、一人の力ではどうしても超えられない試練や挑戦があったが、不思議と私の周りには友達が多かった。
特に私の直属のボス クリスタちゃんは、私が一年程NZを離れ日本に帰国した時に、私の今ままでのキャリアを本当に心配してくれ、また、NZに残った私の家族も含めて色々助けてもらった。また、私のNZ航空のパイロット仲間や以前一緒に飛んでいたCA達もわざわざ日本まで来てくれ、悩みを聞いてくれた。また、国際線のパイロットになりたいと思って悶々としていた時に、尊敬する昔からの pilot mentor 兼 飲み友達のミルトンは777の機長で、「国内線と国際線のパイロットの世界は全く違うんだよ」 ということを私に見せてくれたのだ。これらの体験で、私自身のパイロットキャリアのゴールが、少し見えたような気がしたのだ。それ以前までは漠然としたものだっだ。日本を飛び出した20年前はただひたすらパイロットになることを目指した。しかし、実際にパイロットになって、さらに二機種にわたって機長昇格し、今度はジェットに乗りたいとか、どの飛行機を乗ってみたいとか、どこの航空会社が良いだとか、とても漠然としていたような気がするのだ。自分が目指す先、何を目指していたのかがぼんやりしてしまい、暗闇の中で全力で走っていたような感じだったのだ。
今ハッキリ言えることは、私はパイロットの仕事が間違いなく大好きなのだ。とにかく飛ぶこと自体が好きなんだと感じる。それが夢を追いかけ続けて、時間がたつにつれぼやけてしまった。変な言い方だが、高校生の時から追い求めていたあこがれだったパイロット像(トップガンのマーヴェリック)からようやく抜けたような気持になっているのだ。説明がとても難しいのだが、夢にうなされ続けた微熱から覚めたような感覚なのだが、決して夢が冷えたとかそんなことではない。長年うなされた微熱の本性を理解し、克服したような、最近の5年間だった。
ニュージーランドの空は本当に綺麗なのだ。私はそこを仕事場にして、社会に貢献し、自分の家族を養っている。これ以上、パイロットとしての醍醐味はないと思う。