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0724_スローガンか警鐘か

 今日は午前中に研修を受けてきた。「受けてきた」とわざわざ書いたのは、恐れ多くも、遅かれ早かれ自分が実施する側になることもあり得るから。
キャリア的にちっとも尚早でもないし、教育活動において「何も」やっていないわけではないから。
どんな可能性も起こり得ることだけは忘れずに、それなりの体をつくっておこうと思う。それだけでも修練になると思うし。

 全市対象の対面形式の研修も、たまにはいいものだと迂闊にも思った。理由はいくつかあるが、やはりふだん疎遠な人とうっかり出会えるから。今日もあった。
とは言え、話がめちゃめちゃ弾むという自分でもない。でも周りを見ると、同様のシチュエーションで、会う人会う人と激烈に盛り上がる邂逅を果たしているコミュニケーション怪獣もいたりする。サーカスの大ワザでも見ているような気分。
もちろん自分のような尻すぼみな再会劇である人も多々いて、だから別段自己嫌悪になるようなこともなく、今日のような研修のいいところは、①疎遠な人とうっかり出会え、②(コミュ力Bの自分に少しくらいつつも色々な周囲を見て)まぁいろんな人いるよね~と思える そんなところか。

 午後は年休にしている。持つべきものは仲のいい同僚で、最寄り駅まで送ってもらう。帰り道で昼食をとり、帰宅即noteとは是勤勉なり、と言えば聞こえはいいが実際はもっと即物的なやつだ。
つまり、今満腹で、副交感神経優位。要するに、気をつけなければ途端にだらだらしてしまい気づけば夕方、というようなことになりかねないから。
夕方からはたのしい予定が入っており、だからこそ殊勝にも昼の間は自宅で仕事あるいは自己研鑽しようと企てている(成功するかはさておき)。
ゆえに、この魔の満腹時間帯を、たのしみながら取り組めるnoteに充てるという戦法。最低でもガス抜きになり、うまくいけば思考の整理だったり文章力の鍛錬だったりタイピング力向上になったりする。ゼンブコイ。

 ここまで書いて俯瞰して、なんだか自分という人間が見えてしまってちょっと痛快ちょっとイヤな気がした。
一言でいえば「一石二鳥」または「見出そうとしがち」。一発研修に行くだけで、研修内容の本丸の部分は当然としてその他の何かを得ようとするし、一発noteを書くだけで厚かましくも複数の効能を求める。
性分である。もうこれは、自分の。
時に応じて使い分けるしかない。「見出せ、さらば与えられん」と自分を盛り立てるスローガンとして掲げ、「併願ばかりせず1つに狙い定めろよ」と覚悟を問う警鐘として撃ち込む。このようにして。

 だらだら書いていて気づけば30分。どうやら副交感神経優位の魔の時間は脱したもよう。大成功である。
すでに勝利は確定したわけで、ここから夕方まではドンキーコングでいうところのバナナを集めるだけのステージ。マリオでいうところのコインを集めるだけのステージ。何か違う気がしないでもないが、もはや分からないところまで来てしまったようだ。オワリ。

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