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1・5~1・6、または映画「チョコレートな人々」



 1月5日(木)
 初めて行く映画館は、映画の前にまず、場にわくわくする。
とても良いドキュメンタリーだった。まずは、ざっと実感を箇条書き。
・夏目さんのここまでの実践、今思うと割とあっさり紹介されたが、想像が及ばないくらいの苦労や迷い、悔しさが間違いなく何層もある
・「もがく」、これこそがこの映画の本質(「温めれば何度でもやり直せる」も良いが)
・その人を思っての合理的配慮、その試みが上手くいくかの精度は、それまでにどれだけ考えて動いたかだけが支えるのかも
・障がい者の賃金が、あまりにも、あまりにも低いことに驚いた
・「他人ごと・自分ごと」の間はグラデーション。相手の立場になったり世の中を良くしたりするために「考える」ことも「脱・他人ごと」で、誰かの考えに共鳴して「実行する」こともそう。それを「継続する」ことや、「周囲に広げる」ことも。
・(その気持ちが嘘じゃないことは分かるが)距離あるところからのやさしさや共感は、残念ながら風鈴がちりんと鳴ったくらいのものかもしれない。または、もっと残酷
・世の中は「他人ごとで溢れている」とも言えるし、耳当たりが良いがゆえに多用されるが、「自分ごとにする」ことは並大抵の覚悟ではできない
・温めれば何度でもやり直せる世界であってほしい

 鑑賞後、ロビーに出ると、窓口でまさに映画の「久遠チョコレート」が販売されていた。入るときには気づかなかった。こんなん、買うに決まっている。どんな人が、どんなふうに作ったかがこれほど見えるものがあるだろうか。
いつもなら窓口の人に必要最低限の言葉しか交わさない自分だけど、ちょっとしたやりとりがあるといいな、と思わせた。「映画を観たら、間違いなく買いたくなりますね」みたいなどうってことない言葉だったと思うが。窓口の方も、短く、でもとても感じよく返してくれる。小沢健二さんの言っていた「チットチャット」というやつ? 少しだけ自分のことを変えてくれた映画体験だった。

 映画館を出てまだ正午過ぎ。二駅向こうの街へ出る。ギター屋を覗く。10年くらい使っている愛用のアコギ、この度表面が小さく割れてしまったのだ。音に不備があるわけではないし、よくよく見て気づく程度のものだがくよくよ。もう少し乾燥対策が取れていれば。
とは言えとても気に入っているので買い替えるつもりではない。ただ、こういう機会でもないと市場調査もなかなかできないため。Gibsonの「Gシリーズ」というやつが気になった。抱えたとき自分の顔に向かう形で、サイドにも空洞がある。「いちばんの聴衆は、演奏者である自分だ」というコンセプトらしく、とてもおもしろい。Gibsonへの憧れはあるが、でも正規とは言え10万ちょっとをもってして「手に入れた!」というのもなぁ。云々、ギター屋を出る。

 radikoを聞きながらサンマルクカフェでnoteを書く。なんだかんだ2時間ほど。帰ってみそ汁をつくる。夜はYouTube「Basketball Diner」。

 1月6日(金)
 出勤。さすがに多くが出勤している。やはり何のモチベーションも湧かない。ただ、淡々とこなす事務仕事は嫌いじゃなくて得意かもしれない。そしてそれは、自分として良いとは思えない。
ようやく電話で予約をとることができた。これもまた社会勉強と思う部分も忘れずに。
そしてそれと同時に……本当の本当に楽しみにしていた予定がダブルブッキングになってしまっていたことを知る痛恨の極み。嘘じゃなく眩暈がした。友人になんと謝ろう。
ただ、これもいつもの自分ならばしないはずの失敗。悲しいけれど、傷を負っている。
2時間休を取って帰る。ベッドでごろごろ。ひたすらに。予定では夕方に一旦カフェに行こうと思っていたが不徳の致すところで叶わず。

 夜はお料理。最近めちゃくちゃハマっている「カリフラワーのパスタ」。大阪のコルマータさんがtwitterで公開してくれたレシピをもとに。くたくたに煮たカリフラワーは、やさしい出汁のようになってしみじみ美味しい。
深夜までなんだかうだうだ。まったく無頓着でいた、ギターのナットやブリッジピンのことなど調べる。腕時計もギターもそうで、ある程度しっかりしたものを買っておくと、アフターサービスが整っている。

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