TMR編集室日誌22.7.27|広島のツイストと東京のお盆
先日、ちひろ美術館主催のウェビナー、西村繁男講演会「日本の歴史を絵本に描く」に参加した。
西村先生の絵本は、俯瞰視点で市井の人々の生活を細やかに描きこんでいるところが大好きでずっとファンなのだけど、今まで歴史テーマの作品は読んだことがなかった。
特に、1995年に刊行された『絵で読む 広島の原爆(福音館の科学シリーズ)』に関するお話しに引き込まれ、ウェビナー中にこの本を注文した。
西村先生が広島を描くに至った経緯は様々な縁が織りなしたものとしか言いようがないが、一番大きな要因は佐伯敏子さんという語り部との出会いだ。佐伯さんはご自身の被爆体験を、広島を訪れる修学旅行生たちに伝え続けていた。
原爆症に苦しみながらも、死者の遺骨がおさめられた供養塔の鍵を預かり、毎朝ボランティアで掃除をされ、さらには遺族を探して遺骨をおかえしする活動もされていたという。
西村先生が佐伯さんに言われたという言葉にハッとさせられる。
佐伯さんは何も知らずに亡くなっていった人々に思いをよせて、納骨堂の中でご遺骨にはなしかけ、日本の現在について色々と教えていたのだそうだ。例えば、当時はやっていたツイストを踊ってみせたり。
*
西村先生の『絵で読む 広島の原爆』では、亡くなった少年が幽霊となって空を飛んで、原爆投下前後の広島の町を案内してくれる。幽霊の少年は原爆のことを知っている。後半のページでは、幽霊の少年は密かに地上に降り立ち、人ごみに紛れ込んで歩いている。西村先生は誰に気づかれずとも良いと思って特に説明をするつもりはなかったようだが、編集者さんの配慮で裏表紙にヒントの絵をいれることにしたそう。
西村先生は「広島は大きすぎるので、"誰かの目" をかりて視るのがよいと思った。"誰かの目" として、亡くなった少年に空を飛んでもらった。そして地上を歩いてもらいたかった。」とおっしゃっていた。この本を完成させるために、広島に部屋を借りて中古の自転車を買って色んな場所へ行ってお話しを聞いたという西村先生には、広島の町を歩き回る少年の姿が浮かんでいたのかもしれない。
*
東京のお盆は七月。僕は仕事柄、盂蘭盆会法要の配信をしたり、友人のお寺のお盆法要に配信で参加するなど、今年もお盆の法話を聴かせていただく機会があった。どちらの法話も胸に迫ってくるお話しで、心動かされた。アプローチは違えどともに「目に見えないはたらき」としての仏様についてのお話しだった。
日々の生活では目に見えるものばかりに心がとらわれて、どうしても居心地がわるくなったり不調をきたすことがある。これは本当に実感がある。
しかし夏になるとお盆があってお墓参りをしたり、広島や長崎のことを思い出させてもらえる機会が増えてくる。
亡くなった人たちの世界があるかどうかは死んでみないとわからないが、"誰かの目" を通じて見えないはたらきに思いを馳せることで、狭くなってこわばっていた心をやわらかくして広げてもらえるなあと感じている。
もうすぐ八月。