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本家の後継・番外編 お金

本家の後継をお読みいただきありがとうございます。

この話は私(隆子)のお金にまつわる思い出です。

大人になって思い返した時に、家の経済事情に反して、意外に自分は金運のようなものは持っていたと感じることがありました。

もちろん、貧乏ながらの価値観ですから大した金額のお金との縁ではありませんでしたが、今でいう「引き寄せの法則」と何かしらの関係を思わずにはいれない出来事を、読んでくださる方が「自分も実はそうだった」「なるほど、何だかわかる」と思っていただけたらと思います。

興味のある方は、どうぞこのまま読み進めていただけたら幸いです。


隆子の父、真一は隆子の記憶しているだけで小学一年生から中学卒業までの9年間のうちに15回は転職していた。

おのずと金銭的には行き詰まってしまう。

家自体ははっきり言って貧乏だった。

学校の給食費や学級費さえ払ってもらえないことが度々あった。


「父ちゃん、学級費450円ちょうだい」


「いま持ってる金を渡したら、オレのタバコ買う金が無くなる」

「タバコ買うお金もないのかって、仲間に馬鹿にされるだろうが!」

「学校の金なんか後にしろ!」


たったの450円さえ、すんなりとは出してもらえなかったのだ。


こんな風に言う親は他には居ないとは考えたこともなかった隆子は正直に、真一が言ったセリフを先生に言って聞かせた。

それを聞いた先生は激怒した。

「親がそんなこと言うはずないでしょ!!」

「自分が忘れたのをそんな嘘ついて!!」


隆子はその日は一日中、立たされた。

給食さえ、立って食べさせられたのだ。


隆子は悲しかった。

他のみんなは、いつもちゃんとお金を持たせてもらってくるのに、自分だけ毎回あとになってしまうので、みんなに「ビンボウ・ビンボウ」といじめられてしまう。

先生には嘘つきと言われて立たされてるだけでなく、そのことがさらにイジメられる原因になった。

自分のせいじゃ無いのに!


しかし


隆子自身は、家は貧乏ながらお金を呼び寄せるところがあった。

すでに働いていた姉や

時々くる親戚の人

何だかわからないけど、父の飲み友達

こんな人たちが隆子にお小遣いをくれた。


ある時には、

採ってきた山菜を買ってくれる人

川で拾った珍しい石を買ってくれた人

一万円札をひろったり(親に頼んで警察に届けてもらい、その後、落とし主は現れず、我家のために使われた模様)

小銭を拾うことも度々でした。

当たりくじ付きのお菓子は一つ買ったら連続で当たりが出過ぎて、お店の人に嫌な顔をされてしまったこともある。

わけの分からない、運のようなものが隆子にはあった



せっかく手にしたお金だったが

「子供が大金を持っているもんじゃない。預かっておいてやる」

「隆子、オレに貸してくれ」

こうして親の手に渡ったお金は返ってきたことはありませんでした


引き寄せの法則を学ぶようになって、当時のことを思い出すと

自分が当たり前と思っていること、アリアリと思えるもの、無我であることが現実化するらしい


子供だったがために、ある意味無我と言えたのではないかと思う

末っ子であったということも一因だったのかもしれない。姉や親戚が、思いやってお小遣いをくれたことが良くも悪くも、もらう立場を確立したとも言えるのではないかとも思う

悲しくも、親が使ってしまうこともまた、自分以外が使ってしまうという結果を形作ってしまったのかも知れない


今なお、時々経済で喘ぐ時があることを反省しつつ、当時の自分を納得させるために理屈を考えるとしたら


宇宙が私を生かすために、私を通して臨時収入を親に流していたのだと考えるのはどうだろう?

当時は子供だったから気がつかなかったけど、大人になってみると生活していると、生きていくのって意外にお金がかかるものなんだとしみじみ思う


その当時、子供のお金を使うことに対して親の心が痛んだかどうかは別として、経済的に行き詰まった家庭にお金が回ってきたのは天からの助けだったに違いなかったことでしょう

さらに別の見方をすると「隆子を大事にしてね」という宇宙からの救いだったと言うのはいいすぎでしょうか?


この世は不思議なもので、お金は人をダメにもすれば生かしもします。

巳年生まれの父

巳は蛇

蛇は金運の象徴と言われる


誰かがこんなことを言っていました

「巳年生まれは、(お金を)使うヘビと貯めるヘビがいる」


(実はこのフレーズが自分を縛っていることに気がつきました)

お金で失敗している父、真一の姿を長年見てきました


一生懸命働いたお金

お金を手にすると、泡銭のように使ってしまう


なぜか堅実に大切に使うことが私も不得意

私も「使うヘビ」なんだろうか?

私も一生、お金で苦労するのだろうか?


ある程度の人生を生きてくると、それまでの自分の考えが自分の傾向性で選んできた結果でしかないことに気がついたのです

周りの人のせいでもなく


いつの間にか自分が知らず知らずに思い描いているような、現実を作り上げて行っているのだなと。

お金のことも。


お金に対する自分の人生のエピソードがネガティブナンジャないかな?


実は、お金じゃないものは必要な時に与えられると言う経験は、いくらでもしている。だから本当なら「お金」と「他のこと」の区別なんてあるずなないんじゃないかなと思う。


「使うヘビ」

考えようによっては、使える金が入ってくる

すごいことじゃないですか!!?


ポジティブに考え方を変えることがお金に関する、呪縛のようなものを開放してくれます

貧乏だったけど

「お金が足りない」と深刻になったり

「借金をしなくては」と悩んだりしていた時がありましたけど

そう言う時ほど、深みにハマって行きました


「なんとかなるさ」

「なんとかしてみせる」

と思っていた時の方が不思議となんとかなっていた経験をして、それに気がついてからは、焦りや不安を抱かないように気をつけるようにしています


困難の時に、不安を拭い去るのは至難の技ですが、法則は法則です。

心の波を穏やかにするように心がけることの大切さを、お金の体験を通して学んだと思っています。


裏社会的なデンジャラスとも言える体験なども経験してきましたが、機会がありましたらまた記事にさせていただこうかなと思います。


拙い体験ですが、ささやかな参考としていただければ幸いです。


本家の後継・番外編をお読みいただきありがとうございます。

本編・続きは、また次回に。














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