成果ゼロの振る舞いで、人生は分岐する。
Q.この世の本質は何ですか?
A.そこに存在すること。
はじめに
こんにちわ。ぴくむんです。
私は、
小さい頃から実生活で役に立たない学問ばかり教えられる。
「現代社会でダイレクトに役に立つ学問がない」
研究は、勉強の醍醐味であるのに大多数の人がやっていない。
「大多数の人は研究をする機会がない」
ことに対して疑問を覚えていました。そこで、
国なんてあてにせずに
自分の力で「実生活に直接役に立つ学問の確立」することや、
大学に行かなくても「誰でも研究できる環境の整備」する活動を始めようと思いました。
この記事では、うまくいかない時にそこに存在できるかどうかで全てが決するということについて論じました。誰かの参考になれば幸いです。
本文
年度の終わりに近づき、後輩から修論発表について不安を聞いた。
と言っていた。
博士課程を逃げ出した私なんぞが意見するのは、おこがましい限りではあるが、その逃げ出した私だからこそ伝えられるメッセージがある。
まずは、こんな名言を紹介したい
マインド
私の今まで生きていた感覚からすると、何かを成し遂げるというより、その場所にいるという方が遥かに大切である。
うまくいっている時はその感覚はゼロであるが、うまくいっていない時は、その場所にいるというのが鬼のようにキツくなる。
研究がうまくいっていたときは、指導教官や他の先生と話したり一緒に作業するのは楽しかったが、博士課程を逃げ出した後、指導教官や他の先生は私にとってトラウマであり、一緒の空間に存在するだけで心に多大なる負荷を負うようになってしまった。ピーク時は、「明日なんか来なければいいのに」にって本気で願うようになった。
もちろん鬱病になる前に撤退するべきだと思うが、
不安程度であれば、絶対に立ち向かうべきであり、その場に存在するだけで大正義である。
そして、意外なことに世の中の大多数の人は、そこに居続ける人間に対して周りは要望を通してしまうものである。
なぜなら、大多数の人間が「世界平衡仮説」信者であり、「悪人になりたくない」心理をもち、めんどくさがり屋なのである。
一つ一つ説明していく。
世界平衡仮説
「世界平衡仮説」というのは、世界はしかるべき報いがあるという考え方である。具体的には、努力は必ず実り、いいことをしたらいいことが訪れ、悪いことをしたら天罰が与えられるという仮説である。
例えば、
クリスマスの深夜に男女若者4人が路上で横転し、事故死したというニュースを聞いたらまず何を思うだろうか。
「どーせ、テンション上がってイキって事故っただけだろ。」
と思う人が大多数ではないだろうか。
これが、「世界平衡仮説」である。
「事故死という不幸があったのは、当事者が悪いことをしたから」
と我々は思いたいのである。
これは逆も言えて、我々は、
ひたむきに努力した人間が報われないのは嫌な気持ちになる。
なぜなら、
「努力という良い行いに対して、当事者は報われるべき」と考えるからである。
そして、いつの間にか手助けをしてしまうものである。
つまり、どんな辛いことがあっても、そこに居続けて努力をアピールし続ければ、相手は「これは報われないといけない」と思い承認してくれるものなのである。
悪人になりたくない
人は、「悪人になりたくない」、なぜなら「世界平衡仮説」信者は、悪人になれば報いがあると信じているからである。
相手の努力した結果を踏みにじるような行為は、基本的に悪である。
なので、相手の努力を踏みにじる時は、相手のせいにする。
「お前の要領がわるいからだろ」
とか
「お前のケアレスミスだろ」
とか言って相手を罵倒する。
しかし、そのような人間に対しては、自分の努力過程を何度も相手にしっかり見せることにより、相手は認めざる追えなくなる。
なので、努力過程を見せ続けるためにも、そこに居続ける必要があるのである。
めんどくさがり
大抵の人間は、エネルギーを消費したくない。
学生時代、考えるというのは当たり前の行為だったが、社会人になると考える習慣が減ってしまう。
そして、考えることが億劫になり、相手の要求の圧に勝てなくなってしまう。なので、要求を続けるためにも、そこに居続けることが必要なのである。
以上の理由から、存在し続けるだけというのが、シンプルで全ての原点ということを私は主張したい。
何か物事を実行する時というのは、パフォーマンスは2の次であり、最も重要なことは、「そこに居続ける」ことである。それさえできれば、他がどうであれどうでもいいのである。そうすれば、必ず周りが君に合わせるようになる。
ここで、ネットのインフルエンサーに加藤純一という人物を紹介したい。
内容を要約すると
私は無職の話は置いといて、最後の一文が私の伝えたいことの全てである。
そこに存在するだけで、誰が何と言おうと君の勝ちである。
これが逃げ出した私の気づきである。
振る舞い方
しかし、
「パフォーマンス(成果)がないのに、、、」
と不安になることもあるかもしれない。
この動画を見てほしい。
堂々とわかりやすいだけで、何も変哲もないパフォーマンスでも歓声が上がるのが現実である。
個人的には、
「これは、とても愚かではあるが、とても笑えるけども、、、」
というコメントに対して、
「これはコメディではない。」
の回答が非常に面白かった。一貫してシリアスな行動が好印象である。
これは別に、テレビ番組の話だけではない。
世の中には、エンジニアスキルが乏しいにもかかわらず、一流エンジニアより比べ物にならないぐらい稼いでいる人が山ほどいる。
そのほとんどの人に共通することが、自信満々に振る舞い、単純明快にわかりやすく説明している。
悪質な情報商材など最たる例である。
自信満々に「稼げる。稼げる。簡単に誰も稼げる。」言っている。
そして、これに騙される人間は世の中にいっぱいいるのもまた事実である。
だから、安心してほしい。
パフォーマンスがなくて不安でも、堂々と振る舞い、わかりやすく説明すれば、
必ず一定の「いいね」は入る。
私からのアドバイス
長くなったが、私からのアドバイスは、
世の中はパフォーマンス勝負みたいな風潮があるが、それは本質ではない。
本質は、そこに存在することである。
だから、
誰に何を言われようと、そこに存在し続ける限り君の勝ちである。
そして、例えどんなにショボくても、自分のわかっていることやってきたことを、自信満々に単純明快にわかりやすく説明しよう。
そうすれば、必ず一定の「いいね」がはいる。
それを続けていけば、世界は君の思うように動くだろう。
あとがき
研究室時代、仲がよかった先生から言われたことがあります。
そして、世の中にこんな名言もあります。
吉田松陰も、「学問の原点は何か」と問われたときに
人間集団を離れて、事柄というのは出てこいないので、まずは地理から始めよう。というのが、先生の主張でした。
この話も結局、人間が存在するということが原点として話が進んでいると思います。
私は、結局研究者の世界に 「to be」ができませんでした。
残酷にもこれから先、何をするにしても、この「to be」問題からは避けては通れません。
ネットの活動ぐらいは、この「to be」問題を乗り越えたいものです。
そのためにも、皆様の叱咤激励(特に、激励)を必要としています。(笑)
あなたは、成果ゼロの時は、何が大切だと思いますか?
スキ、コメントお待ちしております!
もし自分に興味があれば自己紹介noteがあるので読んでくれると嬉しいです。
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になります!もし興味があれば読んでみてください。
新たな試みとして、コラボ相手を探しております。
Twitter : https://twitter.com/pikum55
冒頭繰り返しになりますが、もう一度言わせてください。
私は視野の広さと興味を持てる範囲、そこから物事を考える力、素直に相手の声を受け止める力は誰にも負けません。
なので、もしよろしければ、こんな私を推してください。
推してくれたあかつきには必ず歴代史上最高に役に立つ学問を作ってみせます。
わざわざ、こんな小難しい長い弱小記事をちゃんと最後まで読んでくれるそんな貴方が大好きです。本当に感謝しています。
ありがとうございました。