何のために我々は勉強するのか
この記事を読むメリット
・15年間考えている何のために勉強しているかの知見を知れる
こんにちわ。ぴくむんです。
私は、
小さい頃から実生活で役に立たない学問ばかり教えられる。
「現代社会でダイレクトに役に立つ学問がない」
研究は、勉強の醍醐味であるのに大多数の人がやっていない。
「大多数の人は研究をする機会がない」
ことに対して疑問を覚えていました。そこで、
国なんてあてにせずに
自分の力で「実生活に直接役に立つ学問の確立」することや、
大学に行かなくても「誰でも研究できる環境の整備」する活動を始めようと思いました。
この記事では、何のために研究しているかについて15年程度考えた私の考えをシェアしたいと思います。何か参考になれば幸いです。多分一生考えることになると思うので、また言うことは変わるかもしれませんが、現状の意見と言うことでよろしくお願いします。
本文
このテーマは、私が思春期の頃から15年程度考えていることである。
おぼつかないながらも筆を取ってみる。
大きく分けて、勉強する理由には2つの意味がある。
・自分のため
・自分以外のため
それでは、別々に分けて論じていく。
自分のため
自分の権益(地位、お金)のため
これは、よく聞く話だろう。誰しもこの説は聞いたことがあると思う。
現在、日本は資本経済を採用しており、(正しいかは別として)言われたことができる人間を重宝する傾向にある。そこで、政府は義務教育として、あえて暗記中心の答えのある問題を出題し、教えられたことに沿って回答できるかによって、国民に対して点数づけを行い、その優劣によって、職業の選択の余地を与えている。
「職業に貴賎なし」という言葉はあるけれども、その仕事を遂行する難易度には差があるため、職業によって給料の差や地位に差が出てしまう。
よって、義務教育の多くで「自分の権益のために、勉強しなさい」という発言が見受けられる。
これに関しては、否定しないし、政府の方針がそうである以上従うしかない。
しかしながら、学業の最高峰である博士課程に進むと一気に職業の選択の余地が消えるのは何でだろう。
自己の精神のため
いわゆる哲学というやつである。「伝記を読みなさい。」という発言があるが、これはここに当てはまる。偉人の生き様を学ぶことにより、自分の人生をどう生きるかについて考えることができる。
という言葉がある。
これは、朝に自分が進むべき道を学ぶことができたとしたら、別に夕方に死んでも構わない。という意味である。
この自分のやるべきこと、なすべきことをしっかり学び、考えて行動することこそが、本当の意味で自分らしく生きることができる。
なぜ、我々は生を受けたのか。この生を用いて何ができるのか。もし、それを知ることができ、それのために生を捧げたのであれば、死ぬ間際に悔いなど残るはずなどない。
という論調である。つまり、自分が進むべき道を知るために我々は偉人の本を読んで勉強するべきである。
経済において哲学や倫理など一円にもならないので、義務教育で重視されることはない。
自分以外のため
意見書を書くため
現在私がたどり着いた境地はここである。
私が勝手に師匠だと思っている「吉田松陰」についてエピソードを紹介したい。
ペリーが日本に来た際に、このままでは戦争になった時に勝てないと察した吉田松陰が何をしたかと言うと、意見書を自分の国である長州に出した。内容は、
詳しくは、「将乃私言」(意味:ただちに将軍に対して、自分の意見を述べる)を参照されたい。ちなみにこの意見は聞き入られた。
現代の私から見れば、もうちょっとデータが欲しいと言うところではあるが、昔の人からすれば難しいだろう。
しかしながら、このように物事を学んでおけば、自分の主張したいことに対して、ちゃんと理論立てて、相手を説得することができる。
現代においてもちゃんと機能するかは別として、窓口が開かれている。
つまり、物事を理解し、国の存亡がかかるような危機を察知し、それに対してちゃんと論理立てて、データを示し、責任が取れるのであれば、意見書を書けばいいと思う。
しかしながら、このような説得力のある意見書を書くためには、多大なる知見が必要になるので勉強しなければならない。
つまり我々は、誰かに何かしら動いて欲しいときのために、説得力のある意見書を書くために勉強している。
現代社会において意見する人間なんてウザいだけなので、義務教育で重視されることはない。
テクノロジーの進化とGDPを上げるため
日本は昔、鎖国をしてそれなりに豊かに暮らしていたとされている。しかし、ある日黒船が来航し、我々の暮らしは一変してしまった。当時の日本とアメリカの差は、テクノロジーの差である。
現代にも似たような話がある。世界一幸せだった国ブータンはいつの間にかテクノロジーの進展と共に幸福度が急落した。しかし、テクノロジーの利便性にはもう抗うことにはできない。
そして、テクノロジーの強い国が弱い国を支配し、その弱い国から権益を吸い取ることにより、先進国は幸せに暮らしている。
現在のこの世界においては、テクノロジーの進歩は正義である。したがって、この日本という国を守るためには、テクノロジーの進歩は切ってもきれない。そのテクノロジーを進化させるためには勉強は避けては通れない。
また同時に国力はGDPに対して概ね比例していると言っていい。安定した国力のためには、発展したテクノロジーを使って、うまく生産性に結びつける必要がある。うまく生産性に結びつけるためにももちろん勉強は必要である。
義務教育というのは、ロボットを育てるのが目的だったので、テクノロジーをお金に結びつける教育は存在しない。日本人はお金が好きなくせに学ぶのは嫌いな民族である。
義務教育について
私は義務教育を全否定するつもりは、全くない。ネットもなかった貧乏だった時代に全国民に対して、ロボットのような教育をすることにより、GDPを爆上げようとした方針は仕方がないと思われる。
しかしながら、これだけ国が豊かになり、テクノロジーが発達した現代の義務教育システムが時代遅れなのは明白である。
例えば、日本一教えるのが上手い先生の授業を一律で配信するべきだし、英語ももっと実戦に沿ったカリキュラムが必要だと思うし、もっと起業家よりの授業があってもいいと思う。
しかしながら、生き残るための変化と言うのは非常に難しい。
が生き残る変化のために必要となり、もし、日本一教えるのが上手い先生の授業を一律で配信した場合、「先生の威厳がなくなる」と言うような主張が現れ、既得権益の破棄ができない人が大量に集まるだろう。
冒頭に書いたが、結局国に頼るのは無理である。
民間人が何とかしてやっていくしかないと私は思う。
小学生の習い事のように、もっと義務教育とは違った目線で教育する機関を確立させるべきだと私は考える。だからこそ、胡散臭いやつと思われながらも、「ぴくむんの実学研究室」と言うのを立ち上げ、努力しようと思っている。
私が目指す研究室は義務教育とは違った目線で学問を行うことである。
イメージとしては、
のハイブリットような感じである。
まとめ
勉強をする理由をまとめると
である。
残念ながら、義務教育は経済の目線が多段に込められており、人生を豊かにするというよりは、一昔前の世界を合理的に生きることを目的とされているので、時代遅れ感が否めなく、批判の的にされているのが現状である。
決して、勉強というのは不必要なものではなく、学問は広い目線で言えば国家繁栄のために必要で、狭い目線で言えば明日を心豊かに生きるために必要なものである。
だからこそ、今こそ実生活で役に立つ学問をやりたい。
そんな意味で、私は「ぴくむんの実学研究室」を立ち上げたのであった。
あとがき
何のために勉強するのかというテーマの議論は尽きないと思います。議論の歪みの原因になっているのは、義務教育の有無、有効性、人生の価値観だと思います。
その最大公約数を取るという作業は非常に難しく、誰しもが私みたいに理屈っぽくなれるわけではなく、人によっては考えるのが面倒くさいと思う人も山ほどいるのが現状だと思います。
なので、なるべくそんな人でも勉強って面白いと思えるようなコンテンツを作ることを頑張りたいと思います。
ちなみに、「吉田松陰」は獄中相手に孟子を面白いと思わせたことがあります。
それと比べると、このような小難しい記事を読んでくれるような人に勉強の面白さを伝えるのはイージーでしょうね。
少しでも、先生に近づけるように精進したいと思います。
あなたは、勉強する理由ってなんだと思いますか?
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もし自分に興味があれば自己紹介noteがあるので読んでくれると嬉しいです。
自分がおすすめ記事は
になります!もし興味があれば読んでみてください。
新たな試みとして、コラボ相手を探しております。
Twitter : https://twitter.com/pikum55
冒頭繰り返しになりますが、もう一度言わせてください。
私は視野の広さと興味を持てる範囲、そこから物事を考える力、素直に相手の声を受け止める力は誰にも負けません。
なので、もしよろしければ、こんな私を推してください。
推してくれたあかつきには必ず歴代史上最高に役に立つ学問を作ってみせます。
わざわざ、こんな小難しい長い弱小記事をちゃんと最後まで読んでくれるそんな貴方が大好きです。本当に感謝しています。
ありがとうございました。
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