できる人は物事をストーリーで考えている
「戦略家」っていうのかな。将棋とか囲碁とかチェスとか麻雀とか…が、できる人がうらやましい。
ぼくも何年か前に将棋をやってみようと思って、書店で詰将棋の本を買ってやってみてたんだけど、一向に上達せずに挫折してしまった。
もう忘れちゃったけど、詰将棋の問題集みたいなやつで、ページが進むごとにレベルが上がる。
初級をやって中級もなんとかできて…と上達した気になっていたんだけど、ここでもぼくの記憶力のなさが発揮されてね。
案の定、一度解いた問題を少し経ってからやり直そうとしても覚えてなかったりする。
それでも、何回も繰り返すと覚えているんだけど、同じような問題でも別の問題を解こうとすると解けない。応用が効かないんだよね。
結局、何度もやった問題はその解き方を覚えているだけで、理屈が分かってなかったりする。あとは攻め方が本当の意味で理解できていない。
だから、同じレベルなのに最初の一手を動作していいのかすらわからなかったりする。
何年もエンジニアの仕事をしていて、プログラミングもそうなんだけど、優秀な人というのはとにかく理解がメチャクチャ早い。
打ち合わせなどでも、誰かの発言に対して「結局何が言いたいのか」という結論をあらかじめ理解できているように思うのだ。
1を言えば10理解できる人。
1を言えば100まで理解できる人。
みたいな。
ぼくはと言えば1を聞いたら、せいぜい2〜3が限度。その先はよくわかっていない。だから優秀な人が途中の過程をすっ飛ばして話をしたりすると理解が追いつかない。
そういう時はなんとか話に食らいつこうと話し相手に「つまりこういうこと?」と何回も聞いたりする。
仕事をしている時も同じ。優秀な人は、
何から始めて次にこれをするとこうなって…最終的にこうなる。
という道筋がやる前から立っていたりするわけ。
しかもその判断が早いこと早いこと。
何か問題が発生した時でも、ぼくが「どうしよう」と悩んでいる間に瞬時に次の手段からゴールまでのストーリーを頭の中で組み立てて「こうすればいい」と代替案を提示できる。
ぼくは計画を立ててやり始めたことが途中でうまくいかなくなった時にすぐ焦る。
頭の中が真っ白になって、軽くパニックに陥ってしまう。
そのくらいにポンコツなんだけど、「できる人」というのはそういったイレギュラーが発生した時にも強いのだ。
きっとそういう人は将棋とかチェスとかオセロとかも強いんだろうなー…うらやましい。何手も先を考えられるっていうのだけでも、かっこいいなって思ってしまう。
ぼくは本当にいつも数歩先・・・うそ、カッコつけた。半歩先くらいしか見ていないからいつも行き当たりばったりになって頓挫することが多い。
いや考えてはいるんだ。考えてはいるんだけど、考えが浅はかで、想定が甘い。あと、ロジック(論理)が破綻してしていることにも気づけない。
自分の思考のどこかでエラーが発生していることに気がつかないと、エラーが発生している状態で先を見ようとする。
だからどれだけ先まで考えようとも、そもそもの計画に無理が生じているので、走り出した途端につまずいてこけてしまうんだな。
スタートのピストルと同時に足が滑ることってあるよね。
話は変わるけど、ぼくのnoteの記事はほとんどが無計画で始まっている。
タイトルだけが決まっていることもあるし、書きたい内容だけが決まっていることもある。もしくは書きたい単語だけしかない時もある。
どんなことでも、とりあえず書いてみる。
あとはどんな適当なことであっても思いついた言葉をどんどん打っていく。
その間に生じた矛盾とか、くそカッコ悪い言葉とかを後で見直して消せばいいやのスタンスでどんどん書いていく。
でも、大体の場合は振り返らない。その時に感じたことや思いついた時のインスピレーションは残していきたい派だ。残していきたくない派があるのかは知らないけど。
それはつまり、あらかじめストーリーなんて考えていないということ。
ぼくの中のストーリーは、走り出してからじゃないと生まれない。最初にストーリーが考えられたらもっと興味を引く話が書けるんじゃないだろうか。
でも書いてみて思ったのは、ぼくはきっと最初にストーリーを考えて記事を書いていたらここまで続いていない気がするんだ。
今日の記事でさえ、この時点まで記事を書いていたかどうかわからない。
ストーリーを考えることができればゴールが決まっているところには早く、正確に到達することができるのかもしれない。
でも結局、ぼくのような「なんのこっちゃ」な記事というのはゴールなんてものがそもそも存在しないので、ストーリーをあらかじめ決めておくことなんて不可能なのだ。
ぼくがもしも読んでくれているあなたに提供しているとしたら「なんのこっちゃ」なのであって、完璧に構成されたスペッシャルな記事ではない。
(間のちっちゃい「ッ」はわざとです)
そう考えるとね、創作って「できる人」がやっているような最初からストーリー展開をきめて書ける人と、ぼくのように行き当たりばったりで「なんとかなるさ」スタイルでやっちゃう人の二種類が存在するのかもしれない。
ぼくはどう頑張っても思考を組み立てて実行していくことができない人間だというのが生まれてから40年でようやく理解できたので、ぼくがやれることと言えば「とにかく歩き出して行けるところまで行ってしまう」こと。
たとえ記事の最後がグダグダだろうが、意外とキレイに終わっていようが、クッソつまんない感じになってしまおうが(間のちっちゃい「ッ」はわざとです)書き切って世に出してしまうだけなのだ。
出来栄えが気に入らないからと行ってなかったことになんてしない。生ゴミのような記事であっても、それはそのまま公開する。生ゴミだって畑に入れれば肥料くらいにはなるでしょ。
出してしまえばいいんだ。それが今日のぼくの思考そのもの。文章にあらわれるぼくの気分とかが詰まっていて、その日のぼくにしか生み出せなかった記事なんだ。
最後に大切なことを伝えてこの記事を終わりにしようと思う。
ゴミの日はちゃんと守って出そう。
じゃあ、またね。
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