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世論に逆らっているんじゃない。自分の意思を主張しているんだ。

世論の行き着く先はいつも同じ。

多数決の社会では、その時代の風潮がそのまま反映される。

ぼくが「生きづらい」と感じるのはそんな世の中の根本的な仕組みにある。

マスクひとつとっても、すでにマスクの着用は自由化されているのにも関わらず(もともと強制力なんかない)、電車の中や店内でマスク着用している人が目立つ。

外でマスクを付けている人も相当数いるのには口を開けて唖然とするほかない。

もちろん花粉症などのアレルギー持ちの人や、もともと免疫が弱っている人はその限りではないけれど・・・にしてもそんなにみんなマスクをしなければならないと思っているのか、シンプルに疑問だ。

ぼくは、各お店での

「店員はマスクを着用させていただきますが、お客様のマスク着用はお客様ご自身の判断にお任せします」

は罪だと思っている。
店員さんがマスクを率先して外してくれれば客側も外しやすいと思うけれど、悲しいかな大半の日本人は店の象徴的存在である店員の姿を見て判断してしまう。

すなわち「付けなければ申し訳ない」の心。

これを思わせてしまった時点でお店側のエラーだ。
なぜなら、サービスの根底にはお客さんが気持ちよくサービスを受けられることがあるはずなのに、たかだかマスク着用のことだけで「申し訳ない」を植え付けてしまっていることは罪以外の何ものでもない。

一方で、お客さん側である大半の人たちの言い分はというと、もっと絶望的。

ぼくは会社勤めをしているので朝晩は電車通いなのだけれど、大多数の仕事の同僚も電車の中ではマスクを着用しているらしい。

一度ミーティング中の雑談でマスク着用が話題に上がった。
ある人が言っていたことが象徴的だと思う。

「電車では付けてます。いや、ぼくはどうでもいいんですよ。ただみんなが付けてるから付けてるだけです」

実はみんなそんなものだと思う。申し訳ないけれど、これを堂々と言えてしまう人たちは滑稽だと思う。
このロジックのくだらなさは考えたらすぐにわかる。

すなわち、

あなたが外さないからみんな外さない

のだ。

この「周りの人間を見て何かを判断する」の思考がぼくには合わない。
子供の時からそうで、みんなと一緒に何かをするのが嫌いだった。

子供を持つようになってからも

  • 授業参観で親たちがなかなか教室に入らない

  • ラジオ体操で前に出るのが嫌で広場の隅っこを囲うように並ぶ

  • 仕事の休憩時間は12時きっかりに一斉に動く

など、不思議極まりない光景を当たり前のようにこなしているみんなを横目に、ぼくはぼくがしたいように行動しているものだから、ぼくの周りには人が集まらない。

それでも、そんな風潮に合わせるのはぼくは耐えられないからいいんだ。

ただ、これだけは聞いてほしい。

あなたの意思は、そこにあるのかい?


聞いてくれてありがとう。


ぴこつ

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