家事のコツは「なんとなく」。
最近、家事をサボっているなと。
食後の食器洗い、部屋の掃除機がけ、料理も滅多にしなくなった。
今の部屋に引っ越してくる前はそれなりにやっていた…気がする。そもそも別にだれに頼まれたでもなくやっていたので、やっていたかどうかもちょっと自信がなくなってきたけれど、たぶんやっていたと思う。毎日ではないけどね。
休みの日になると前日の夕飯の洗い物とか、掃除機をかけたりとか、なんか気がついたことから片付けていたような気がするのだ。
そもそもなぜやっていたかと言われれば、ただ自分が気になったから。キレイにした方が気分がいいから。決して家事が好きなわけではないけれど、やった後はやっぱりちょっとスッキリするよね?
冷蔵庫を開けるにしても、食器が積まれたシンクを見ながらよりも何もない方が開放的な気がするし、ホコリがある廊下を歩くよりも無い廊下を歩く方が靴下も黒くならなさそうな気がする。
ところで夫婦の家事分担って、みんなはどうしてるのかな?
ウチは特に「コレをやって」と頼まれることは基本的にはない。けれど、ぼくは料理が苦手だから必然的に妻がしてくれてる。ぼく自身が食にあまり興味がなかったりするので、ぼくが作ってもみんなに喜ばれるようなこともないしね。でもいつも妻の料理はおいしい。とても感謝している。
ぼくは最近だと、もっぱらお風呂掃除かな。たぶん家族で最後に風呂に入る機会が多いからだと思う。それと同じ理由で洗濯もぼくがやることが多い。ウチは洗濯機を夜にして部屋に干し、翌日晴れていれば出勤前にぼくが外に出して、ベッドに寝ている妻に「行ってきます」を言って出て行く。
夕方ごろに妻が洗濯物を外から入れて畳んでくれて、タンスには各自でしまうといった感じのルーティンになっている。これも決めたわけじゃない。
ぜんぶ「なんとなく」だ。
ぼくは根っからのめんどくさがりで、家事とかもめんどくさいと思っている。
でもこれ、みんなも同じだと思うんだけど子どもの時とかも、めんどくさくてやりたくない事に対して親から「やりなさい」と言われると余計にやりたくなくなったりしなかった?
ぼくはね、そういう時に本当に腹が立って「わかってる!」とだけ言ってやらなかった。
今でもそれは変わっていない気がする。じゃあなぜ家事はしているのか、いま考えてみた。導き出した答えは二つ。
1つ目は、やった方がいいような気がするから。
2つ目は、自分がやらないと終わらないから。
ものすごく漠然とした答えになったね、これ。
「やったほうがいいような気がする」っていうのは、やったら気分良くなりそうだから。ということ。
「自分がやらないと終わらない」っていうのは、妻よりも自分の方が必然性を感じているから。
つまり、1つ目は自分の気分を上げるためにやっているということ。2つ目は自分しかやる人間がいないということ。
実際には、どちらも放っておいても妻がいつかはやってくれるのは間違いない。だけど「今できるのは自分」だったり「自分がやった方が早そう」と思ったらぼくがやっているんだと思う。
そこで冒頭の「最近家事をしていない件」についてだけど、やれることはやっているんだと思う。風呂掃除はしてる。あとは夜の洗濯。でも、洗い物とか掃除機は頻度があきらかに減ってしまっている。それはたぶん「引っ越して家がキレイだから」だと思う。自分が「キタナイ」と感じることがなくなってしまった。
あとは、妻がいつもキレイにしてくれているというのも大きい。妻は逆に引っ越してきてから掃除機も毎日かけてくれているし、洗い物も溜まった都度やってくれている。
妻はぼくの感覚とは少し違っていて、「キレイだからキレイにしておきたい」と思っているらしい。ぼくは「キタナイから掃除する」。
ね、微妙に違うでしょ?
風呂掃除や洗濯干しは背が高くて腕のリーチが長いぼくがやった方がきっと効率がいい。天井にも手が届くしね(なんかそういう便利屋みたいな謳い文句なかったっけ)。
だけど洗い物だったり掃除機なんかは背の高さはあまり関係がない。むしろ小回りが効く方が効率がいい?のかもしれない。
…という感じで、強制とか、担当割とか決めてるわけじゃなくて、うちの家事は「なんとなく回っている」。
それがぼくたちらしくて、なんとなくいいかなと思っている。
担当制にすると「あなたの担当でしょ!?」とか言っちゃいそうだし、強制すると「わかってる!」て中二っぽく反発しちゃいそうだし。
別にこれが正解だとは思わないけどね。お互いの特性を見て、二人でいい形を見つけたら家事だって上手く回るよ。
なんとなくね。
じゃあ、またね。
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