コトバアソビは永遠に。
早いもので、日記を習慣にしてからもうすぐ1ヶ月になる。無類の飽き性であるぼくがここまで日記が続いていることには自分でも驚きだが、それよりもあまり苦でもなく毎日書いていると言う事実がちょっと面白い。
プロフィールにもある通り、ぼくの書く記事は今のところ日記がメインで、読んでくださった方にはもれなく「なんのこっちゃ」を提供することを意識している。
おかげさまで書いた記事にはあなたからの「スキ」が届いていて、とても気分良く書かせていただいている。
いつもありがとう。そして今日もありがとう。ぼくもスキです。
さて、なぜここまで日記が続いているのかということなんだけど、あまり明確な理由は見当たらない。ぼくは「義務」と呼ばれることがすこぶる苦手で、学校も義務教育なだけにとても苦痛だった。
なんでも「やりなさい」と言われると「なんでやらなきゃいけないのか?」という疑問が湧き上がるのがってくる。
かと言って湧き上がってくるだけで、先生に反抗するだけの度胸もないから我慢してやってしまうので、せいぜい中二病の疑いをかけられるだけで誰かから嫌われるということも特になかった。
どうせなら思いっきり尖って嫌われておけばよかったなと今となっては思う。でもやっぱりみんなと同じことを強いられるのが嫌なのはいまも一緒で、会社で休み時間のチャイムと同時に一斉に外に出たりとかするのがアホらしいと思っている。
なのでぼくはいつも5分前に外に出てコンビニにコーヒーを買いにいく。降りるエレベーターも空いているし、コンビニから帰ってきた時も大して人が乗っていないので快適だ。
そんな感じで、とにかく強制的にみんなと同じことをやったり義務感を感じて何かに勤しんだりするのは苦手なのだ。
ではこの日記はどうなんだ?
と言われれば、これは義務ではなくどちらかと言えば「遊び」に近い。こと、noteに書く日記は思いつく限りの言葉をひたすら打ち続けいているだけなので、褒められるようなことでもないと思うし、やっぱりどこまでいっても「なんのこっちゃ」な記事なのだ。
自分の日記が誰かに見られることはあまり意識していないけれど、ぼくも誰かの日記を読むことはあるから、ぼくの日記がどこかの誰かの目に留まることがあってもなんら不思議はない。
…とかなんとかいいながら、この記事でもすでに「あなた」などと呼びかけている時点で、思いっきり読者を意識しているではないか。
とんでもないペテン日記だ。ぼくがこの記事の読者ならば、パソコンのモニタに人差し指で指を挿しながら「どの口が言ってるんだ!」とすかさずツッコミを入れているかもしれない。
そんなツッコミも甘んじて受け入れよう。なにせぼくが提供しているのは「なんのこっちゃ」だ。読者からのツッコミが怖くて「なんのこっちゃ」のスペシャリストになどなれるものか。
いっそのことペンネームは「ナンノコッチャーぴこつ」にでも改名しようかしら。
昭和のプロレスラーみたいな名前だが、逆にそのほうが覚えられるという効果はあるかもしれない。
日記を書くために、ある人は先にお題を決めることがあるかもしれない。それはそれでとても意義のあることだと思う。
少なくともこの日記のように「なんのこっちゃ」を生み出しまうリスクはかなり低いだろう。でもたぶんぼくにはそれも続かない。
ぼくにとって「お題を決める=義務」になってしまう。
とてつもなくめんどくせぇ性格をしている。
ただ単にお題を決めるだけのことで、強制力を持ったと思ってしまうとは、じゃあお前は一体どうやって今まで生きてきたんだ。
…ぼくもそう思う。
よくもまあこの義務の塊のような国の日本で生きてこれたものだ。
義務もイヤ。
協調性もない。
やる気もない。
本当にぼくは今までどうやって生きてきたんだろうか。
ホント、誰か教えてほしい。
ただ言いたいことは、ぼくの日記はただのコトバアソビ。
ぼくの頭に連想したままの言葉の羅列なのである。良いとか悪いとかもない。
自分の頭に浮かんだ言葉を、なんの疑いもせずに並べていく。もしもそれで不快に思う人が現れてしまったとしたら申し訳ないことだと思うが、ぼくの連想は止まらない。
ある言葉を発すると、その言葉を使ってまたさらに次の言葉を使いたくなる。
使いたかたがわからなくても、とにかく思いついた言葉はそのまま打ってしまっている。打ち込んだ後で使い方を決めるといったイメージだ。
支離滅裂になったとしても構わない。それはそれで味があると思えばいい。
ちなみにさっき支離滅裂と打った時にmacは「Siri」と変換した。
ぼくは「シリ」と打つ時に「shiri」とローマ字のようにhを入れる癖がある。
にもかかわらずmacは「Siri」と変換する。なんか面白いよね。
…でもないか。
そんなこんなでそろそろぼくのコトバアソビにも疲れてきた読者の方もいると思われる。「疲れてくる」よりも前にすでにここから離脱してしまわれているかもしれない。
でも、最後まで見てくれているあなたために、ぼくは書き続けた。
誰も読んでくれなかったとしても、ここまで読んでくれたあなたのおかげで、ぼくはここまで日記をかけている。
ここに来て、自分が読者のことをめちゃくちゃ意識していることが判明した。
ウソついてごめんなさい。
最後まで付き合ってくれてありがとう!
じゃあ、またね。
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