『書く』って、な〜に?
書くことの意義ってなんだろう?
書いていてふとそう思うことがある。いわゆる「ネタ切れ」というやつだが、それとは別に書いていることの意味を考えてしまうこともあるんだよね。
ぼくは生きてこのかた三日坊主のプロなのだが、ただこの「#書く習慣」は不思議と続いている。どうしよう、もうプロとは言えない。
ただ、なぜこの三日坊主のプロを引退する羽目にマなってしまったのかを考えてみた。
ちょうど昨日、ぼくと同じ松坂世代の松坂大輔投手の引退登板があった。「ぼくと同じ」というか、ぼくが「松坂投手と同じ」というのが正解だけど、基本的に書いている文章は後戻りしないこととしているので、とんでも上から目線の如くこのまま突っ走ろうと思う。
松坂投手は、今までの人生を野球に捧げてきた。きっと四六時中、野球のことばかり考えてきたんだと思う。それはぼくにとってはとてもうらやましいことだ。
野球で飯を食えているからとかそういうことではない。ぼくも野球が好きなのは確かで、何億も稼げることはうらやましいけれども。
ただ今回はそうじゃなくて、「捧げる何か」を持っている人がうらやましいんだ。
プロ野球選手は、野球をすることで自分を表現している。練習をして、試合に出る。ぼくからしてみれば、試合に出て野球をすることが彼らのアウトプットだと思うのだ。
かたやボクはというと、今の仕事はお金を稼ぐためだけにやっていると感じている。プログラマーという職業柄ともいえるが、一日のうちで打ち合わせ以外であまり会話することもない。
プログラムを書いていることがアウトプットだと言われてしまうと、たしかに…となってしまいそうな気がするが、プログラムは設計通りに作る物であり、自己表現ではないので却下!
自己表現にこだわって書いてはいるものの、ぼくが本当にやりたいことは「自己表現」を前面に押し出すことでもない気がしてる。
自分がどこに向かっているのかも、この日記がどこに向かっているのかもさっぱりわかっていないが、ひとつわかったことがある。
書いている間はぼくの精神は安定している。日々イライラしたり、やりたいこと探しで悩んでしまうといったこともなく、安定している。
この精神の安定はぼくにとってはとてつもなく重要で、自分が好きものってなんなのか?やりたいことはなんなのか?と悶々としてしまうことが多ったので、ひたすらに筆というか指をスマホに滑らせているこの時間が尊くて仕方がない。
文章表現は正しいだろうか?
誰かにちゃんと伝わるだろうか?
同じ文章がリフレインされていないだろうか?
そもそも同じことを記事にしたことがあるんじゃないか?
というような不安はもうどーでもよくなった。
この記事に到達してしまったあなたを残念な気分にさせてしまったとしても、ぼくはそれであなたに何かしらの影響を与えているのは間違いないので、それでヨシとしてしまおうと思う。
犠牲になられた方には心からお詫びいたします。
そして迎えた占めの時間。なぜかというとそう言わないともう収集がつかないからである。
ただ本当にぼくが言いたかったことは、この書いている時間によってぼくのこの1日が少しでも意味のある日になったということ。
気分を落ち着かせて、すこしばかりの自己満足もできた。
今日もしょーもない日記かもしれないけれど、何日かたってから見直した時、自分の精神の一部分を思い出し、懐かしさに浸ることもあっていい。
もしもこの日記を読むことがある誰かに、「読んでくれてありがとう」と「時間を奪ってごめんなさい」を伝えます。
「なんのこっちゃ」と思っていただけたら本望です。
じゃあ、またね。
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