交友関係はインサートじゃない、アップデートだ。
「交友関係をアップデートする」について考えていた。
理屈はわかる。
自分と関わる人はその時々によって変わって当然。過去に関わった人も、もしかしたら未来でまた関わることもあるかもしれないが、基本的には一期一会。
仕事でもプライベートでも用事がなければ関わることとはない。無理につながる必要もたぶんない。
そういうことを意識的に出来る人はとても意識が高い人だと思う。ぼくはというと、そもそもが交友関係がアップデート(更新)しかできない。
この違い、わかってもらえるかな。
ぼくはこう見えて(見えてないけど)友人が少ない。ていうか、自分ではほぼいないと思っている。
でも、「関わっている人」という括りでいうとそれなりにはいると思う。
例えばよく行くお店の店員さんだったり、かかりつけの歯医者さんだったり。
これだけを言うと「ちょっと痛い人」みたいに思われるかもしれないので弁解しておくと、ぼくは結構だれかれ構わず話しかけてそれなりに仲良くなるようにしているので、そういうお店や病院では「まったく素性も知らないお客さん」よりはちょっとばかり昇格した存在だと思っている。
なぜ話しかけるのか?についてはこちら↓↓に回答らしき物を書いているのでご興味があればどうぞ。
それでも自意識過剰だと言われたらそれまでなので、もう反論はいたしません。それでもいい。とにかくぼく自身が思う「交友関係」の対象人物は時間経過と共にアップデートされているのだ。
その理由について、今日は思考整理してみた。
まず最初にお伝えしたいのは、ぼくはそもそも人付き合いが苦手だ。ただ、リアルでお会いした人からは十中八九ウソだと言われる。
それも、先ほどご紹介した以前の記事の中に書いた。
人付き合いが苦手な理由を考えてみても、正直よくわからないというのが本音なんだけど、なにがそう思わせるのかについてはなんとなく思うところがある。
まず、交友関係において「懐かしい」という感情ってあるよね?
久しぶりに会った友人とか、友人でなくてもちょっとした知り合い。常連だったお店の人とか病院の看護師や受付の人とか。
とにかくこの「懐かしさ」がどうも苦手。
懐かしさに浸る自分が嫌なのだ。
なぜかと言われると、これは表現が難しいんだけどきっとぼくはその「懐かしい」というところに感情を持っていかれるのが嫌なんだと思う。
冷たいと言われても仕方がない。でもね、自分の人生の中で、その貴重なリソースを過去の知人に持っていかれてしまうのがもったいないと思ってしまうんだよね。
決してその人をキライになったとか、そういうのではない。もちろん関係が続いている人にそんなことを思うことはない。
あくまで数ヶ月とか数年とか会う機会に恵まれなかった人たちに割く時間が、なんとなくもったいないと感じてしまう…やっぱりぼくって冷たい人間なのかな。
それから、ぼくの人間関係のキャパシティは本当に小さい。
もしかしたらこれが一番の理由なのかもしれない。それは「壊滅的な記憶力」と関係しているのかもしれない。シンプルに名前が覚えられなかったりね。
だから、たくさんの人と接するのが苦手。
「顔と名前が一致しない」みたいな話題ってよくあると思うけど、これはまさにそう。でもぼく、なぜか顔だけはよく覚えていたりするのがナゾなんだよね。
例えば、よく行くコンビニの店員の顔を覚えていて、制服も着ていない普段の格好で歩いているその人を街で見かけた時に「あの人どこかで見た」と思って考えてみるとその店員だったり。
どうやら顔だけはよく覚えているらしいのだ。
でも、名前はまったく覚えられない。なんなら、何回も話している人でさえも名前を覚えていないことが多々ある。すごく恥ずかしいんだけど、いつも面と向かって話している相手の名前が呼べないのだ。
だから飲み会とか会合でたくさんの人が集うような場所が本当にダメ。一人の人でさえ覚えられないというのに、大勢の人を目の当たりにした瞬間、軽くパニックになってしまう。
結局は話した相手が覚えられないからその場にいたくないのだ。
それからもう一つ、あまり関係のない人と関わりたくない理由がある。
自分で言うのもなんだけど・・・ぼくって感受性が高い方で、誰かの言動に必要以上に敏感になってしまう傾向がある。
あの人怒ってるのかな?・・・どうしよう
あの人困ってるのかな?・・・どうしよう
あの人泣いてるのかな?・・・どうしよう
自分にはまったく関係のない、考えても仕方がないような他人のことまで考え込んで気にしてしまうのだ。そのどうしようもないことを考えてしまうこと自体がストレス。ということは、関わる人が多くなればなるほどそのストレスを抱え込んでしまうことになる。
だから交友関係を積み上げれば積み上げるほど、自分の首を絞めることになっていくのだ。SNS上のお付き合いだけならなんともないかもしれない。それは、その人の様子を実際に目にしているわけではないから。
こんな長々と書いておいて、結局は単に「コミュ障」という一言に尽きるのかもしれない。
交友関係を積み上げることができないのだとしたら、アップデート(更新)するしかない。過去の交友関係を新しい交友関係で上書きする。
とてつもなくドライに聞こえるかもしれないが、ぼくがストレスなく生きていく上ではとてつもなく重要なことなんだ。
今年の半ばに、ぼくは引っ越しをして別の地域に移り住んだ。前に住んでいたところではinstagramでお気に入りのお店や通っていた病院のアカウントをフォローしていてよく見ていたんだけど、引っ越してきてからは徐々にフォローを外して見ないようにしている。
そこには嫌な思い出があるなんてことはないし、むしろいい思い出の方が多い。
そりゃそうだよね。だって気に入ったからフォローしたわけで。
だけどそのアカウントから新しい投稿がアップされるたびに「あそこはよかったな」とか「懐かしいな」と思ったところで、たぶんその場所にはもう行く事も、その人と出会うこともない。
そういう人たちのことを思って懐かしむよりも、今の場所でこれから関わる人たちに関心を寄せた方がこれからの自分のためにもなる。
過去にお世話になった人たちのことをキライになったりはしないけど、自分の中でお別れして、また新しい交友関係を築いていくことが自分とその人の未来につながる。
そうやって常に交友関係をアップデートしていくことでぼくは新たな人と関わっていく。
あ、SNSとかnoteでたくさんの方にフォローされるのは大歓迎です。気疲れなんてまったくない。むしろ「スキ」をいただけるほどにぼくは元気になることに最近気づいてしまった。
いつもありがとう。
なんか・・・
最後のオチで、この記事の価値をリセットしてしまったような気がするな。
じゃあ、またね。
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