世界は下世話であふれている。
どこかのだれかが結婚した時。
どこかのだれかにお子さんが産まれた時。
どこかのだれかに幸せを感じられる何かが訪れた時。
人はその人に「おめでとう」を言う。とてもいいことだ。他人に訪れた幸せを自分も幸せだと感じることができるというとは素敵なこと。
だけど
どこかのだれかが離婚した時。
どこかのだれかがケンカした時。
どこかのだれかが逮捕された時。
これにも同調するのってどうなんだろう。何よりもぼくはそういったことに興味がわかない。
たしかに有名人が離婚したとか、ほんの一瞬「そうなんだ」と感情が持っていかれることはある。
だけどそれが「どうして?」とか「どっちが悪い?」とかにはまったく興味がない。
もしかしたら自分と関わりが深い友人だったとしたら、話を聞いたり相談に乗ったりすることもまだあるかもしれない。
そうではなくて、テレビに出ている有名人や政治家のだれかといった、およそ自分とは縁遠い人物に起こった出来事には、てんで興味が湧かないのである。ぼくがおかしいのかな?
だいたい、有名人の離婚の原因や離婚に至らないでもゴシップになるネタは「不倫」などだけど、そこにしてもまったく興味がないし、そもそもそういった人が不倫をしたことを自分が指摘することになんの意味があるんだろうか?って思っちゃう。
そうでもなくて、たとえ離婚原因が犯罪行為だったとしても、そこに至る経緯とか、どこまで関与しているかとかも自分には知る由もない。報道がすべてとも限らないしね。
報道ばかりを鵜呑みにして、夫婦であればどちらかの加担をして同情をして、相手側を叩く発言をする人も多い。
だけど、「実は違ってました」となった時に、そういう人たちはどんな立場を取るんだろう?完全に手のひら返しをして逆の人間を叩くのかな?それともまったく関与しなかったフリをしてダンマリを決め込むのかな?
いずれにしても、その前までのその人の時間はなんだったのかな?って思う。
そもそもになっちゃうけど…ぼくは元々、他人にあまり興味がなくて。
いや、語弊があるな。
興味を持つ人が少なくて、そしてどうやら他人を思いやる気持ちが不足しているようなんだ。
自分でもちょっとショックなんだけど、他人の痛みとかがあまり理解できなかったりする。心配をしたり、助けてあげたりはしてるつもり。
だけど相手がどう苦しいのか?とかどのくらい苦しいのか?とかがよくわからない。
よく言うよね。
「自分に置き換えて考えてみる」って。
たぶんこれが苦手なんだと思う。自分自身が変わり者で、ちょっと変な感性の持ち主なのかもしれない。よく言われるんだよね。
「変わってる」って。
それ自体は別に嫌でもなんでもなくて。ただ、そうなのかーという思いはある。
そんなぼくだからこそ、芸能人や政治家、その他の有名人のスキャンダルが出てきても、興味を持てないのかもしれない。
だけどさ。
ぼくは思うんだ。
人生で自分が自分に費やす時間て限られてるでしょ?
なのに、それの貴重な時間をぜんぜん会ったこともないようなイメージだけの知人に使ってしまうのなんか、もんのすごくもったいなくない??
たとえそれが誹謗中傷じゃなくて「思いやった感情」であったとしても、そこに当てた自分の時間にはどれほどの意味があるんだろう。
ぼくの感情が冷たいと言えばそれまでだけど、なんか「考えてもわからない相手の感情」に時間を費やしてしまうくらいなら、ネットゲームやって潰した時間の方がまだ有意義な気がしちゃう。(ネットゲームやらないけど)
だからさ、「自分の時間のために時間使おう」って思った。あらためてね。
「おめでとう」は「おめでとう」でおしまい。
「なんだかなぁ」は「なんだかなぁ」でおしまい。
あとは「なにしよっかな!」で自分のことしていけばいいよきっと。
なんかちょっと今日はあんまりおもしろい言葉も思いつかないまま来ちゃったな。そんな時もあるかー。あるよねー。あるって言ってよねー。
最後に強引に「なんのこっちゃ」に持ち込んだあたり、評価してほしい。
じゃあ、またね。
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