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切っても切れない「聞く」と「書く」。

こんにちは!!

いまこうやって文章を「書く」という誰でもできる作業をして、書いていることだってなんでもない当たり前のようなことのような気がしているけど、思いや考えを言葉にすることは意外にむずかしいことでもある気もしてきた。

ぼくは、とにかくいろんなことをまとめたり、整理整頓をすることが苦手。

学生時代のノートはとにかくページが文字で埋め尽くされているだけのような代物だったし、パソコン内のフォルダも1階層が限界。
「カテゴリに分ける」とか、「サブフォルダ」とかになってきた途端に「一体どこに入れるのが適切なんだろうか・・・」と、平気で1時間ほど悩むこともザラにある。

そんなぼくが思考をまとめて良い文章にしようなんていうのは、もはや無理ゲーだとは思っている。
ただ反対に文章だからこそ、ひっちゃかめっちゃかだとしても形になっているようにも感じる。

脳みそに溜まっている自分の思考を「読み手に伝わる形」にできることってすばらしい。
文章を読んで「そうそう」とか「私も」とか「あるある」とかの共感を得るには、まずもってその話題が伝わらなければならない。

一方で、「まさか自分の思考が誰かの共感を得るなんて思ってもみなかった」ということもある。

つまり、とにもかくにも自分の思いを発信しなければ、それが共感されるかどうかすらわからないってこと。
どんなにくだらないと思っていることだろうと、ブン投げてみると意外にどこかの誰かが見ていてくれたりして、意外にイイねとかを押してくれちゃったりもする(?)

ここで、みなさんに大切なお知らせがあります。

ここまで書いて来て、やっと気づいた。本当に書きたかったこと、本当に伝えなければならないことはこんな話ではなかったはずなんだ。

いしかわゆき(ゆぴ)さん著の『聞く習慣』


これを読んでいる最中、なんだか無性に書きたくなってここに来てしまったのだ。なんの考えもまとまっていないままに・・・。

そしたら、気づけばこれは完全に『書く習慣』の感想ではないのか!!??

こんなはずではなかった。

きっと伝えなければならなかったことはもっと他にあった。

ただ、ぼくの書く体力はすでに限界。
おまけに整理整頓がすこぶる苦手と来たもんで、ここから記事を改変することもできない。ここはゆぴさんの教え通り「投稿」ボタンを押すこととしよう。

最後にぼくの今の気持ちを書いておくとすると「どうにでもなれ」だ。

思いや考えを言葉にすることは、意外にむずかしい。

書きたくなるほどおもしろい「聞く習慣」、ぜひ読んでみてね!



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