親になったからこそ思う親の存在のちっぽけさ。
生まれてから30数年、ぼくはずっと母親といっしょに暮らしてきた。結婚してからも、自分に子供が生まれてからもずっと同居生活だった。
当然、妻で漫画家のnikoも一緒に暮らしていた。いわゆる「嫁と姑」の関係だ。
ここまでくると昼ドラにありそうな嫁姑のドロドロとした関係を期待してしまう人もいるかもしれないけれど、ごめんなさい。今回はそんな話ではない。もう少し後まで読むとちょっとはご期待に添えることができるかもしれないし…できないかもしれない。
なにぶん日記なうえ、ぼくもこれからこの日記がどう展開されるのか予想がついていない。それが日記のいいところであり、よくないところ…でもないか。そういうもんだよね、日記って。
ぼくが自分の親と同居していた期間を今、考えると「なぜこんなにも長く一緒に居てしまったのか」が正直な感想だ。
子供が小学4年生の頃、ぼくは親と決別した。「決別」と強い言葉を記したものの、実態は母が近隣に移り住んだだけで、特にぼくの娘と母(お婆ちゃん)の関係は変わりはない。
ただ精神的にはぼくがいちばん実の母との距離を置き、決別を選択したという思いが強かった。
この間の話を期待してくれている人がいたらホントにごめんなさい。今日はそういう話がしたいんじゃないんだ。余力があれば後の方に少し書くかもしれないし、書かないかもしれない。
母とようやく別居してから、ぼくと妻と娘の親子3人の生活が始まり、ようやく気づいたことがある。別居が始まったのは娘が小学4年生の頃だ。
娘は大きくなるにつれて、本当にいろんな才能を見せてくれる。「才能」といってもプロになれる資質とか、天才とかそういうのではなくて、自らやりたいことを見つけ、そこに人生の時間を割き、探究と修正を重ねていく。
その没頭できる力をぼくは「才能」と呼んだ。
今、娘が昔からやってきた事を思いつく限りあげてみると…
・器械体操(〜小5)
・スイミング(〜小3)
・習字(〜小5)
・油絵(小3〜現在(お休み中))
・ダンス(小3〜現在)
・イラスト(中1〜現在)
と、我が子ながらけっこう多彩なことをやってきていると思う。小さい頃に始めたことは、親の意向も含まれるが、でもやり始める時も辞める時も、最後は自分で選択させるようにしている。
人生の時間は限られているので、何かをやりたかったら何かをやめなくてはいけない。という判断も、自分自身のキャパと見比べてながらやるとかやらないとかを決めていると思う。
ここからはぼくの話。
ぼくがずっと母親と暮らしてきたのは最初に書いた通り。ぼくの母はとにかくぼくが「やらなければいけないこと」をすべて自分の手でやってきた。お金の管理とかもそうだし、自分の身の回りの整理整頓、掃除などすべて。
自分でやらなければ気が済まない性格というのもあっただろう。ぼくはそんな母とずっといたおかげで、生きる上で必要なことができる能力を身につけないままに大人になってしまった。
大人になってしまったというか、大人になって結婚をし、子育てするようになってもなお、母の影響を受けてきていたと思う。
妻に対しても同様で、妻がやればいいようなことも母が率先して全部やっていた。そして妻がその一部をやろうものなら、その出来栄えが気に入らないのだろう。終始不機嫌になってしまうという具合で、ぼくや妻が親として成長しなければならない部分までも自らの手で摘んでしまうようなことをしていた。
「これではいけない」と、その間に母とは対話を試みたり、手紙を書いてみたりとしてみたが、どうやら母の耳にも目にも響かなかったようだ。
娘が大きくなって小学校に上がると、母は娘にもいろいろと手をかけるようになる。というか、以前からそうではあったんだけど、そろそろ自分のことは自分でやらせなければならない時期に入っていた。それでもやはり孫は可愛いのだろう。そしてすべてを自分でやってあげないと気が済まないのだ。
それから、母は子ども(孫)に手をかけすぎるのと同時に、あまり手をかけない妻のことが気に入らなくなった。
もともと母と妻は性格が正反対な上に、母は対話をしようとしないため、ただ自分がイライラを募らせては不機嫌さだけを表に出すようになっていった。
そこから、ぼく自身が決断をする。
皮肉にも、子どもの頃からあらゆることを母自身がやってきて、「決める」能力が不足していた息子からの訣別宣言を受けることになった。
ぼく自身は母と離れるのが遅すぎたと思っている。ただ、それからはぼく自身が子どもとのこれからの関係を考えることになった。
ぼくは、娘が自分で判断できることはすべて最後は自分で決めるように言っている。自分で決めたことは自分で責任を持つためだ。
だから娘は自分で決めたことを後悔したり、弱音を吐くことがほとんど無い。
やろうと思ったらやり、やめようと思ったらやめるのだ。
その決断に、ぼくがいつも言えることは決まっている。
「そっか、わかったよ。よく決めたね」
そうやっていくつもの決断の機会を持つことはとても重要だとぼくは思っている。ぼく自身が決断できない人間に育ってしまったことがそうさせているのだと思う。
子供はいつか親から離れる。その時に自分で自分のことを決めれる人になっていなればならない。それは簡単なようで難しいことだと思う。
もう一つ、ぼくが親として思うこと。
やっぱりぼくも親だから、娘のやる事にとやかく口を挟みたくなってしまう。極力がんばって言わないように我慢しているつもりでも、つい口に出してしまうこともある。そんな自分が、ぼくはイヤだ。
せっかく自分のことは自分で決めさせようとしているのに、娘が自分で決めてやっていることに口を出しては意味がないと思うのだ。
いっそのこと、娘はぼくといない方がいいのではないかとさえ思う。娘は可愛い。それはもちろんそう思う。でも、可愛いからこそ早く離れた方がいいと、本気で思っている。
古い価値観を持った親が、未来を担う若い子供の足かせになってはいけない。それは自分が意図していなかったとしても、だ。
ここまで書いてみて、ものすごく真面目に語ってしまったことに今気づいた。
万が一、これを読んでくださっている人がいたとしたら、たまらなく退屈をさせてしまったのではないかと心配になった。ごめん被りたい。
「ごめん被(こうむ)りたい」という言葉を思いついたので積極的に使ってみたけれど、盛大に使い方を間違えているらしい。でもぼくは振り返らない。一度書いたことには責任を取るのが大人なのだ。
ぼくは娘の大いなる可能性を自分の手で潰してしまうようなことはしたくない。まだ生まれてから12年しかたっていない娘には、この先ぼくには想像もできないような可能性がある。また、12歳にもなれば人間がやることのうち、大抵のことはなんとかできる。そうなると、これから親としてできることなんてたかがしれている。
親の存在などちっぽけだ。それはぼくが常々思っていること。
年月は気が付けばいかほどにも積み重なってしまうもので、自分の年齢を考えてもそうだし、誰かと一緒に過ごした時間というのも気付けば経ってしまっているということはみなさんも良くご存知かと思う。
子供が大きくなるにつれ、自分がいかに成長していないかを感じてしまうし、それと共に、まだ子供に干渉してしまっているという思いも増していく。
娘には早く僕たち親の元から大きく羽ばたいていってほしいと願っている。
可愛いからこそ、彼女の人生を悔いなく生きてほしいと願っている。
現代はとてもとても便利になった。いつでもどこでも誰とでも連絡が取れる。
気が向いた時に連絡をしてくれれば、お父さんは満足だよ。
じゃあ、またね。
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