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不確かさと向き合う場所として
僕は、小さな町でピコタウンという場所を運営している。もともと古い商店だったこの場所を改装して、今では大きな本棚やバーカウンター、多くの席を設けた空間になった。ピコタウンは、お店のようでお店ではなく、家のようで家でもない。その曖昧さが、この場所の特徴であり、僕自身が日々考えさせられるテーマでもある。不確かさや曖昧さを感じるこの場所で、僕は人々とどうつながり、どのようにこの場所を成長させていくのかを模索している。
ピコタウンを訪れる人は、外から見て何をしている場所なのか分からない。それでも、気になるのか、通りかかる人はちらちらとこちらを見ていく。でも、なかなか気軽に話しかけてくる人はいない。おそらく、「ここは何だろう?」と思いながらも、その曖昧さや不確かさに戸惑い、足を踏み入れる勇気を持てないのかもしれない。それに僕自身も、いつも自分から積極的に話しかけるわけではない。そうした曖昧さや、不確かさとの向き合い方が、僕の中で大きなテーマになっている。
社会では、よく「何をやりたいの?」と聞かれることが多い。目的や目標を明確にして、それに向かって進むのが正しい生き方だとされているからだろう。僕もかつてはその流れに従っていた。高校や大学も順調に進んでいたけれど、特にそれを安定への道だと意識していたわけではなかった。ただ、それが「普通のこと」だと思っていた。何も深く考えずにその道を進んでいたけれど、思うようにいかないことが続き、大学を留年したり中退したりして、自分がこの社会の中でうまくやっていけないと感じるようになった。アルバイトもうまくいかず、いつもどこか浮いているような感覚があった。
そんな中で、僕はもっと別の生き方や、別の形があるはずだと思うようになった。下町のように、人々が自然につながり、互いに支え合うような社会に憧れを抱くようになったのだ。ピコタウンを作ったのも、その不確かさを恐れず、逆に受け入れてみようという思いからだったのかもしれない。
今の社会では、何かを明確にすることが求められる。不確かさや曖昧さは、不安の種となり、人々はそれを避けたがる。僕も基本的には安定を求めるタイプだし、デザインや秩序を作りたがる。形にして、コントロールしたいという欲求がある。でも、結局のところ、僕は不確かなものの中でしか生きられないのだと感じる。だからこそ、このピコタウンという場所で、不確かさと向き合いながらも、少しずつ成長している。
無駄話や、何の目的もなく人と話すことも、その不確かさの一部だ。現代では、そうした「無駄なこと」は避けられがちだし、僕も「嫌われたらどうしよう」とか「無駄に思われるんじゃないか」と不安になることがある。でも、実はそうした無駄な会話や偶然の出会いが、最も深いつながりを生むこともあるのではないかと感じている。ピコタウンを成長させるためには、僕自身ももっとそうした無駄や偶然に身を委ね、無目的なつながりを大切にしていかなければならないんだろうと思う。
結局、僕にとってもピコタウンにとっても、不確かさに飛び込むことが大切だ。どんなに不安でも、その中でしか生まれないつながりや可能性がある。僕自身も、その不確かさの中で成長し続けたいし、ピコタウンもその中で変化していく場所でありたい。無駄なことや偶然の出会いこそが、この場所を豊かにし、僕自身をもっと自由にしてくれると信じている。